第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

司法制度を考える​

私は数十年前から日本の裁判官は法律を守っていないのでは? この国は本当に法治国家か? と唱えていた。報治か放治かもと。まず犯罪者に優しすぎる。これでは被害者や遺族は堪らない。

加害者への情状酌量が多すぎ、被害者や死者の情状酌量はない。おかしいのでは? 不公平、これに極まれり!! 私はずっと死者の肖像や銅像、モニュメントの法廷への持ち込みを主張していた。同じ3次元空間を占める者(物)が居れば裁判官の心情もかなり変わる筈である。

最近になってやっと写真や肖像画などの画像が認められたが2次元では弱く、やはり3次元。呼吸音もある医学部学生実習用の人形の顔に被害者のモンタージュという方法などもよい。

また、刑も軽すぎる。今の刑期は人生60年時代のまま。もうすぐ人生100年。今の平均寿命85歳から考えても1.4倍に延長すべきと考える。

例えばマル暴の鉄砲玉が抗争相手の親分を殺しても、刑期を務め娑婆に出てから豊かで楽しい余生を全うできる。これではこの手の殺人が増えそうで不安が募る。

この稿が遅れに遅れていたら、大津市の保育園児の列に右直事故(今回知った用語で右折車と直進車が絡む事故)の車両が突っ込み2歳園児の尊い命が絶たれるという痛ましい事故が発生した。しかし大津署には遵法精神があった。

右折車運転の女性を逮捕し死者を出した直進車両のドライバーは御咎め無し。今までは10対0というのは殆ど無く9対1が少々、8対2か7対3、酷い時は6対4。法律を守っていても前方不注意とかで罪を問われるのが常であった。今回の10対0は画期的と言える。

私は医療訴訟には以前から格別の関心を払ってきた。公立病院相手ならば勘違いや逆恨み的訴訟であっても裁判費用や弁護士費用は折半とか医療機関持ちの判決。弱い者の味方かぶれ? または正義感ぶって? 

これは地方へ行くほど酷く第一審にその傾向が強い。私の地域にある神戸地裁姫路支所なども同様。青法協の人が多いから? 大阪高裁、最高裁と上がっていくと理に適った判決になる。

しかし地方の首長や病院関係者は、これ以上市民と争いたくないとすぐに矛を収める。票のためであろう。職員が被告となっているのに院長の立場としては困ってしまう。

平成21年から始まった裁判員制度により、だんだんと市民感覚が採り入れられ腑に落ちる判決が増えているのは嬉しいことである。医師として心配しているのは、観光客や労働者として増えている外国人絡みの裁判である。

医療と同じく専門用語の解る司法通訳の養成が喫緊の課題ではなかろうか? 司法も医療も生活に直結し、最悪の場合は生命に関わることも。

とにかく日本の裁判は、素人の国民にとって甚だ共感できない点が多すぎる。先日の娘への性暴力事件の無罪判決などは、これ極まれりである。そう感じるのは私だけだろうか。

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『令和の改新 日本列島再輝論』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。