2章 責任構造物としての防災施設の使命

ダムの役割と開門の大罪

安易な開門が人命と資産を喪失させる

発電から上がる収益など、微々たるものである。それより、ダムの開門によって堤防が破堤したその結末は比較にならない大被害に結び付く。台風の進路が確定したら、真っ先にダムを空にして降雨に備えるべきである。

降雨が始まると、その水をダムに貯めて下流域に流れ込む水量を精一杯防ぐ。そこで初めて、多くの犠牲の上にできているダムの真価が発揮できるのである。今までのダムの管理体制は、下流域のことより自分が管理しているダムの今の環境のことに軸足を置いて、その場限りの判断と決断で安易に開門している。

1時間後に放流する、3時間後に放流すると言っているが、その時、下流域は浸水し救助を求めている。開門の責任を正すとマニュアル通りにやったというが、そのマニュアルは「下流域の住民が作ったもの」ではない。役人が上司の許可を受けて、そのマニュアルを運用しているのである。

防災の原点を司るべきダムという大金を注ぎ込んだ巨大構造物が大量の犠牲者を出し、多くの資産を根こそぎ流出させている。このままでは「百害あって一利なし」で、源流の高台に大量の危険物を集積しておいていつ放出されるか分からず、下流域の住民は常に恐怖の毎日が続いている。この判断を国民に問いたい。

[写真1] 平成30年7月豪雨(西日本豪雨)の際、愛媛県では肱川の上流にある野村ダム、鹿野川ダムからの放流によって、下流域に甚大な被害が生じた。(写真は鹿野川ダム)
写真提供:共同通信社
[写真2] 氾濫した肱川(愛媛県大洲市)
写真提供:愛媛新聞社

「私見」ダムは百害あって一利なし、喫緊に取り壊すべきである

日本は太平洋戦争で敗戦し、国土は焦土と化し国民は疲弊しその惨状は惨憺たるものであった。そんな中、政界と財界の思惑が一致したのがダムの建設であった。

ダムを造れば電気が興せ産業の復興に繋がる。そして灌漑・治水ができて新しい農地が開発でき、食糧難が解消できる。河川の水量も自由にコントロールできて、堤防も土堤のままでよい。

このように、ダムの効用を全面的に有用評価してダムの建設に一直線にまい進し、全国津々浦々までダムを造った。そして、用地買収や建設工事には多大な金が動いた、そして政界と財界の懐に大金が入った。

産業疲弊の中で多くの就労の場ができ、政財界人は赤坂や築地や銀座、祇園に多くの金を落とした。地方の歓楽街にも金が回り、キャバレーや呉服屋と順次息を吹きかえしていった。

このようにして疲弊し切った日本が一気に活気を取り戻し、「もはや戦後ではない」とまで言われる復興を短期間に成し遂げた。この発想と実行は成功して、見事に日本の復興発展の基盤を造ったことは評価できよう。

月日が経つにつれ、ダムそのものの有用性は計画通りにその機能を発揮し、世のため人のためになっているのかと言うと全くそうではない。自然に大きな鉈(なた)を打ち込みシッペ返しがないはずがない。堰堤が仕上がり水を貯め始めると、国が戦後先頭に立って進めた杉檜の植林が根を張り太陽の光を根元に通さない湿潤な地盤を作っていた。そこに水が上がってくると表層雪崩を起こし、山の表面は全てダム底を埋めている。

ダムの機能は最初から設計通りにはいっていない。ダムを造る時に精査しなかったマイナス要素が多分に表面化してきた。ダムができるまでは砂浜が広がり、沿岸漁師は地引網で魚を取り生計を立てていた。

その砂浜は痩せ細り、一個もなかった消波ブロックの海岸に代わった。堤防がいらないどころか、ダムを開けるたびに越水の危険があるため堤防を嵩上げして危険極まりない天井川を次々と造ってしまった。

海ではサンゴは死滅し、磯の岩場は磯焼けで真っ白く変色し元には戻らない。川は一年中濁ったままで、「百年河清を待つ」の状態であり、動植物の生態も一変し自然破壊は著しい。ダムから得る電力量は全体の電力消費量と比較すると微々たるもので、海岸に放り込む消波ブロックの費用にも追いつくまい。

また、今まで河川の氾濫や決壊が毎年のように続いているが、その多くはダムの開門によるものである。ダムの運用プログラムは、下流域の住民が作ったものではない。そのダムの都合で作ったものであって、開門する緊急時には下流域の住民は口まで水が上がってきて助けを求めている時である。

数百メートルという超大な落差の頂上にある河川の出発点でゲートを開放すると、大量の水に落差のエネルギーがプラスされて一気に下流へ飛び出していく。当初の計画の河川の水量と水位はダムで自由にコントロールできると言っていたことが全く違って、大量無差別殺人の基を成している恐ろしい行為である。

ダムができたことによる河川や海岸港湾等に年々費やしている費用と、環境破壊や魚やサンゴの被害補償等、それに費やす費用は膨大である。ダムの有用性だけを得々と説いて、大きな犠牲の基に全国にダムを造ってきた当時の政財界の上層部の功績が亡霊となって立ち塞がり、今の役人達がどうしてもその亡霊に恐れをなしてその壁を突き崩せず、「土堤原則」なる子供でも解る悪例をいつまでも引き摺っているのである。

ダムも人間が造った構造物であり、寿命がある。経年と共に老朽化していて、このまま置けばいつかは崩壊してしまう。戦後できた構築物で、今でもそのまま使っているものはダムぐらいのものである。地震国の日本は、地震の恐れも大きい。

ブラジルでは鉱山の廃土を溜めてあるダムが決壊し、下流域の集落が複数流出し大災害となっている。ダムが決壊すれば、海から津波がやってくるのとはエネルギーの質量が違う。

山の上から大量の水が一気に地表面を削りながら駆け下りてくる。その恐ろしさは計り知れない。

ダムを造るに当たって、効用を並び立てて夢の国が出来上がると称賛し、全くマイナス要素の検討はしていない。ここにきて、本当にダムの効用は何なのか、ダムのマイナスは何なのか徹底的に科学するべきである。

政治家が議論している「桜を見る会」がどう決着しようと、国民にとって益にはならない。しかし、ダムの功罪は今や人命と財産の懸かった国民の大事であって、徹底的に科学し議論すべきである。

筆者は一日も早くダムを壊して、美しい自然林を取り戻し、川には魚がイッパイ泳ぎ、白砂青松に鶴が舞い、海には美しいサンゴが自生し、沿岸では地引漁師が魚を取っている昔に戻したい。この願いも、きっと国民と科学的思考による正しい精査が解決してくれるであろう。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『国土崩壊 「土堤原則」の大罪』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。