第3章 山心の発展期

【雲ノ平】 北アルプス最奥を歩く ~1985年8月(48歳)~

熱中時代​

80歳になったいま、人生を振り返ってみると、何かに夢中になった「こと」や「年齢」が懐かしい。私の場合は「登山」がその一つだ。「よくもあんなに……」と燃えたころを思い出す。

山にはまり込んだのは47歳から57歳のころが一番激しかった。いつも帰ってからこまめに作文を書いた。手元におよそ50編ある。

そんななかに大物が一つ抜けていたことに気がついた。それがこの項目である。

48歳の夏山シーズンが近づいて来た。6月1日は夏山雑誌発売日である。『夏山JOY』(山と渓谷社)と『’85の夏山』(東京新聞)を買う。

去年の2冊も机上に出してみた。2年続けて2誌とも推薦しているコースが「雲ノ平」だ。

山に実績のない私は、迷わず今年の主役を「雲ノ平」と決めた。富山県飛騨山系で、黒部川源流に位置する。勤務先で山を始めようとしている若い理科の男先生に話しかけてみた。久我さん24歳。「ぜひ連れて行ってください」と快諾。二人で行くことに決まった。

出発日は8月4日。雲ノ平はいままでのどの北アルプスよりスケールが大きいから、しっかりトレーニングをしておかなければ、と心が引き締まった。

校庭のジョギング、斜面歩き、階段の登り降り、長距離の徒歩など細かくスケジュールを8日分組んだ。1週間の休養後、試運転として一人で北穂高へ向かう。体を山に慣らしてきた。準備万端。

雲ノ平へ出発 1〜2日目 大宮駅から富山駅へ

8月4日、大宮駅。午後9時28分発の夜行寝台急行「能登」で富山へ。同行の久我さんは杉並の人で、始発の上野駅から乗ってきた。11900円。48歳で初めて寝台車に乗った。

心ウキウキ。私が下。久我さん上。荷物を置いて通路に立つ。窓の外を流れる夜景に興奮が続く。

8月5日、富山駅。午前4時48分着。早い時間なのに構内の片隅では、もう駅弁を売っていた。登山者が次々に買う。

「おいしそうですね」と久我さん。ともに「鱒ずし」を買う。

富山地鉄で有峰口まで50分。ここからバスでさらに50 分、片側が崖の怖いような道もあった。折立に着く。交通機関は終わった。

午前7時、鱒ずし弁当の朝食。「酢がしっかり効いていますね」と久我さん。午前7時50分折立を出発。最初から急登が始まった。しばらく登ると右側の近くに有峰湖、遠くに白山が見えてきた。さらに登ると左側には大きすぎる山体の薬師岳が壁のよう。蒸すような夏草の匂いと、小鳥の声を聴きながら汗を拭く。

太郎平小屋に午後12時10分に到着。小屋には日本医科大学の救護所があった。小屋の前の広場には大きな柱が立っていた。「中部日本国立公園」。

広場から左に薬師岳への上り坂が霧のなかに延びている。黒部川の谷底から吹き上げてくる霧が冷たい。遥か前方には水晶岳、鷲羽岳、その右に北鎌尾根、三俣蓮華岳、笠ヶ岳、そして右には黒部五郎岳と続く。

私が次々に山の名前を言うと、久我さんは、「よくわかりますね!」と驚く。(来る前に、地図と本でずいぶん調べてきたもん……)と心でつぶやく。いままでに見てきたどの山岳風景よりも大きかった。

持参のおにぎりで昼食。太郎兵衛平、午後1時30分発。黒部川まで下りの道が続く。コバイケイソウやチングルマが目を楽しませてくれる。カッパが住んでいるという伝説もあるカベッケが原を通過。「増水時は注意」とあった。

薬師沢小屋、午後4時20分着。新築の山小屋だ。木の香りが良い。

「疲れましたね」

久我さんが言った。

「夜行列車でよく眠れなかったから、きつかったよ」

折立から太郎平小屋まで登り4時間20分で、太郎平小屋から薬師沢小屋までは下り2時間50分。今日歩いた時間は、7時間10分だった。1泊2食5000円。夕食のときに明日の昼食におにぎりを頼んでおいた。

※本記事は、2019年9月刊行の書籍『山心は紳士靴から始まった』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。