12月6日(日)

3度目の「退院」

空気は冷たいが空は澄んで気持ちよい。10度前後と思う。

9時10分に良子の病室へ行った。請求書ができていたので1階に下り、支払いを済ませた。

10時過ぎに先生の回診があった。手術の傷跡が点検され、それで退院OKであった。

私は荷物を、地下駐車場の車に置きに行った。そして私たちは時間外出入り口から埠頭側へ歩いた(今日は日曜日で、正門は閉まっている)。

水面に水鳥が浮いている。空の薄い白雲が美しい。静かだった。

帰りに「本牧館」でパンを買い、スーパーで果物とうどんを買った。帰宅したのは11時30分少し過ぎだった。

良子のために作っておいたワタリガニのスープと、その味のしみた豆腐、魚のアラを出汁に煮込んだ大根、その説明をした。調味料は一切入れていなかった。

「水がわりにスープを呑んでもいいと思うよ」

良子は、そうすると言った。12時に家を出て、車で新国立劇場へ向かった。オペラパレスで『ファルスタッフ』があった。オペラパレスのチケットは1年半も前に入手している。今日の状態を想定すべくもなかった。良子は勿論、笑顔で送り出してくれた。

途中ベイブリッジが、改修工事のため二車線規制していた。(二車線規制というのか一車線規制というのか、要するに三車線のうち二車線が閉鎖された)20分余り渋滞した。三車線が二車線になり、更に進むと一車線になった。

一車線になると、車は普通に動き始めた。「これがお母さんの状態や」と私はあい子に言った。

「二車線に三車線分の車が走ろうとしても、動かない。一車線に二車線分の車が走ろうとしても、動かない。しかし一車線分に一車線分の車ならスムーズに動く。お母さんの腸は今一車線なんや。二車線や三車線分の食べ物を入れると、詰まってしまう。そっとそっと、一車線分の食べ物を、通してやらなければならないんや。分かるか?」

「よく分かる」とあい子は言った。

オペラの開演は14時で、30分余り前に到着した。プログラムを入手して出演者を見ると、[クイックリー婦人:エレーナ・ザレンバ(メッゾソプラノ)]とある。この人は知っていた。2001年(ほぼ15年前)の春に、バイエルン国立歌劇場において、私はこの人の『カルメン』を観ている。

確認のため今日のプログラムを精読すると、エレーナ・ザレンバはカルメン・タイトルロールを、「世界中で22の異なるプロダクションで270回以上」演じている、と書かれている。そのうちの一度をミュンヘンで、私は観たのだった。

そのときは予めチケットを入手していたのでなく、僥倖で最良の席が取れたのである。ドタキャンがあったと思われる。前後して同歌劇場で観た『ローエングリン』は、最後部の席であった。

カルメンは、最前列、指揮者の右すぐ後ろ、オーケストラ・ボックスが覗ける場所だった。場所は良かったが私は残念ながら一人だった。一人旅だったのだろう。

隣に恰幅のいい(よすぎる)婦人がこれも一人だった。一人でオペラに来る淋しいオバサンもいるんだと、安心した。このオバサンのカルメンへの声援が並でなかった。凄い声を出した。

幕間に私が(日本語で)「カルメンは素晴らしい!」と言ったら、「カルメン、イズ、マイ、ドウター!」と返ってきた。エレーナ・ザレンバのお母様だったのである。サインを貰った。

帰りに会社によって少し作業をした。明日良子をT医院へ連れて行くので、午前中は出社できない。そのためのちょっとした作業である。

6時半過ぎに家に着いた。良子は『サザエさん』を観ていた。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。