待ち合わせ(今野メイコ)

児童福祉施設ジョイハウスで働くうちに、自分のやりたいことが見えてきたメイコは、思い切ってフィリピンを出ることにした。

とりあえず各国の孤児院を訪れ、ボランティアをしながら旅をすること。そしてブログでその活動を発信していくことを目標とした。メイコは自分がジョイハウスを知ったときのように、誰かがこの活動を目にしてくれることを望んだ。

日本にいたままだったら恐らくこんなことを思いつかなかっただろう。ひょっとしたら自分の活動を見て誰かが行動してくれるかもしれない。そう考えるだけでメイコの胸は弾んだ。

2013年6月。マレーシア・ジョホールバル。

メイコがフィリピンを出てから2ヵ月が経とうとしていた。

衝動的に始めたブログは思いのほか好評で、日に日に増える読者からのメッセージや書き込みをみるのが楽しみだった。ただ自分の活動に対してすべての人が賛同してくれるわけではなかった。後押ししてくれる書き込みが増えるにつれ、少ないながら誹謗や中傷を含んだ書き込みも増えていた。

ある日の蒸し暑い夜のこと。

開けっ放しの窓から生ぬるい風が部屋のなかになだれ込む。さっきシャワーを浴びたばかりだというのに身体はすでに汗ばんでいた。

メイコは久しぶりに山梨に住む母に電話をした。

今、フィリピンを出て旅をしていることや、自分の活動を伝えたかったからだ。

「あら、あんた、ちょっと連絡もしないでどうしてたのよ。大丈夫なの? お父さんと心配していたのよ」

母の緊張感のない声を久しぶりに聞いて安心したのか、メイコは抑えていたものが外れたように、最近の出来事や近況を話した。

「それで? 日本へはいつ帰ってくるの? お盆には帰るんでしょ?」

これから自分のやりたいことを一通り話し終えると、母が少しあきれたように言った。

「え? お母さん、私の話聞いてた? 私、今旅を始めたばかりよ? まだ帰国のことなんて考えてないよ」

「そうだけど……でも、旅はもう散々してきたでしょ? ボランティアなんて日本にいたってできるんだから、何もわざわざ海外でやらなくたっていいじゃない? それにあんた、仕事もしないで自分の国に税金も納めていないような人がボランティア活動をしようなんて、なんだか順番が違うんじゃない?」

母との会話に温度差を感じるにつれて、電話の声が遠くなっていく気がした。

「とにかく、私はまだ帰らないから……」

母にそう告げてメイコは少し強引に電話を切った。

たいして話していないのに喉が乾いた。

思いが伝わらないことがこんなにも苦しいとは思わなかった。

今までレールの上を歩んできた自分が、ようやく見つけた意義を母にわかってもらいたかった。

メイコの書くブログの心ない書き込みにも母と同じようなことを書いていた人がいた。

よくある書き込みだと軽くあしらっていたが、母もそのなかの一人なのだという気がしてならなかった。

やり場のない感情が身体をめぐっていた。

メイコの心は次第に大きく揺さぶられ、やがて悔しさと今までやってきたことへの虚しさで胸が締め付けられた。

その夜、メイコは自分の立ち位置や旅の意義について改めて考えてみた。メイコは気持ちを整理しながらブログを更新したあと、それを最後にブログを閉鎖することも考えていた。

──翌朝。

入れたばかりの安物のコーヒーは、まるで今のメイコの気持ちと同じような色をしていた。気持ちがぐちゃぐちゃして昨夜は眠れなかったメイコは、とりあえずパソコンを立ち上げてみた。

ブログには数件の書き込みがあったが、読む気にはならなかった。また同じような中傷が書き込まれていたら立ち直れない気がしたからだ。メッセージボックスにも何件かメッセージがきていたが、これもまだ読む気になれなかった。

メイコはふと、メッセージの送り主の名前に目を留めた。それは、ジョイハウスの澤田からのメッセージだった。

引き寄せられるようにメイコはメッセージを開いた。

《メイコ。元気ですか? 君のブログをいつも見ているよ。メイコ、とても辛い思いをしたね。でもね、人がなんて言おうと自分の意思を貫く勇気は君の財産へとつながっていくものだよ。もしも君に迷っている気持ちが少しでもあるなら、このブログは決して終わらせてはいけないよ。君のブログから勇気をもらって一歩を踏み出そうとしている人もいるからだ。そんな人たちのためにも君が発信することは大きな意味を持っているんだよ》

澤田の言葉は文章に代わっても温かく、メイコの気持ちを落ち着かせてくれた。彼が島に孤児院を作ったときの苦労は、今のメイコの気持ちなどとは比較にもならないだろう。そんな彼の言葉に、メイコは胸が熱くなった。

メイコはぬるくなったコーヒーを一口飲む。目が覚めるような苦さが口のなかに広がった。慌てて冷蔵庫から取り出したミルクは賞味期限が怪しかったが、気にせずカップに注いだ。髪を1本に束ね、気を取り直してメッセージの続きに目をやった。

《先月、君のブログを読んでジョイハウスに来た青年がいるんだ。彼はここに音楽教室を作りたいって申し出てくれてね。一緒に楽器を作ったりして子どもたちも大喜びだったよ。君が発信したことで行動を起こしたり、幸せになったりしている人がいることをどうか忘れないで》

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『旅するギターと私の心臓』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。