前書き

学生だったとき、私はフランスのある文芸家による「万巻の書は読まれた」という文を読んで一抹のさびしさを感じた。読書好きであった私は本を読む事に何等かの意味があると思いたく、読書が単に趣味で終わってしまう可能性を私はこの文の中に垣間見た様な気になったからであろうか。

無論、私はこのように多くの本をこれまでに読む事はなかった。千冊は越えても二千冊にも到する事はなかったであろう。このように多くの本を読むという事に関連して興味深い本が出版された。

この『カルチャロミクス』(草思社)という本によると千冊とか万冊という微小な数ではなく、コンピューターに膨大な数字の、理想的には現在にいたる全世界の著者物を読み込ませる事によって文化と文明、歴史を理解しようとする壮大な計画があるらしい。この本に書かれているのはまだその第一歩という感を否めることは出来ないが、この試みの方向性は私自身が知りたいと思い追求してきたものと一致する。

振りかえってみると、医学部を卒業する前から私は精神医学の道を進もうと思っていた。理由は、フロイトの精神分析に非常な興味をもっていたからであるが、今考えてみると未熟な若者であった私には人間というものが全く解らず、人間とはどのようなものを知りたいと模索していたのであろう。

私はニューヨークに行き、精神科医として働く傍ら、カレン・ホルナイの設立した精神分析研究所において授業を受け、教育分析をうけた。人間を知るためにはその第一歩として自分を知らねばならないからである。

研究所を卒業して私は人間というものが解ったかときかれると、自信を持って肯定することができない。私が人というものを理解しはじめたのは、不惑といわれる年を超え、父を失ってからであった。

葬儀の式場で私は不覚にも泣き続けてしまった。これを見た叔父はニューヨークに帰る私の事を「大丈夫か」と心配してくれたという。

その時まで私は医師として自立独立の生活をし、外国で暮らす人間として多少の自信を持っていたのであるが、この体験を通じ四十を越えた自分が経済的には独立していても、精神的には支柱として父親に頼っており、私は父のために泣いているより、支柱を失った自分の事を嘆き泣いている事に気付いたのである。

まことに情けない話ではあるが、この人間としての自分の弱さを知るという体験から日本文化に脈々として続く、父親像の強さ、西洋文化において明白な父親像の崩壊という違い、異なりが、私の中に浮かび上がってきたのである。

この本『天才の軌跡』の中にも、天才たちの父母との関係が書かれている。そして私は彼等のなしとげた事が何故に幼児期の体験と結びついているか、又、彼等の文化的背景と結びついているかを書こうとした。そして人間とは何かという疑問にも少しは答えることができたかと思う。

カルチャロミクスというAIの技法は西洋文化、日本文化をどのように理解するのであろうか。私はこの技法が私の論旨に近い結論を出すのではないかという淡い期待をもっている。そのあかつきには千余冊の読書からでも文化、文明の変遷はAIよりも早く感知できたと自慢したいものだ。

この本に取り挙げた人々は、小説家、思想家、画家、ロックスター、軍人、革命家、精神分析医であり、生国も日本、西洋諸国と多岐に及んでいる。私は人間の理解のためには俯瞰的な視点が重要と思ったからである。そして私自身の人種のモザイクとも言える、ニューヨークで四半世紀暮らした経験と合わせて人間とはという問いにせまる事ができたのではないかと自負している。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『天才の軌跡』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。