第3章 山心の発展期

【白馬岳】 家出して来た岐阜の人 ~1983年8月(46歳)~

再びの山を噛みしめる​

翌朝6時30分、蓮華温泉を出発。緩やかな山道をしばらく登って樹木の切れ間に出ると、遥か下のほうに蓮華温泉の赤い屋根が見えた。右に雪倉岳と朝日岳が大きく姿を現す。

2時間で「天狗の庭」に到着。ごろごろとした溶岩の山で、ところどころの岩の隙間から松の木が生えている。私は岩の上に腰を下ろして、磁石と地図で山の名前を確認してみた。いまここは乗鞍岳の中腹だが、右には小蓮華山、雪倉、少し低いのが赤あかおとこ男山と続く。「天狗の庭」から先は、大きな岩が不規則に並ぶ道になった。

「あ! ここに出たのか……」

私の記憶がよみがえった。去年、濃霧のなかを栂池から登って来てここに出た。白馬大池山荘前の懐かしい広場だ。私はドアを開けて、山荘のなかに入った。

「ラーメンください!」

腹が減ったというより、去年ここでラーメンを食べたからという気持ちだった。去年の自分に会いたかったのかもしれない。

午前10時に大池山荘を出発。空はどこまでも青い。ヨツバシオガマ、クロユリ、ミヤマクワガタ、チングルマなど小さな花たちが、短い夏を精一杯生きている。登る前方には小蓮華岳への稜線が延びて、上のほうから三人連れの女性が降りて来た。この女性たちが、

「この先にコマクサがいっぱい咲いていますよ」

と教えてくれた。山で会う人のなかには、気持ちを奮い立たせてくれる人がいる。左斜面には雪渓が広がり、雪だるまをつくって遊んでいる親子がいた。稜線の遥か下のほうに、赤い屋根の山小屋が見える。去年泊まった栂池の小屋だ。

午前11時30分、小蓮華山に到着。剣のような形をした特大鉄柱が地面に挿してあった。白馬岳山頂はもう近い。初心者の私もここまでくれば余裕だ。山頂は混んでいるだろうから、ここで昼食にした。ガス(霧)が少し出てきた。

午後12時、小蓮華山を出発。「馬の背」も去年は雨と霧のなかだった。あのときは四つん這いで登って周りが見えなかったから危険を感じなかったが、快晴の今年は岩場がよく見えて怖かった。足がすくみそうになると、膝をついて安全な体制になる。危険な場所になると人間も自然に四足になるものだ。

三国境まで来ると老夫婦が休んでいた。地面に下ろされたザックの背には、「北九州市」と住所が書いてあった。私が声をかけた。

「いや~きついですね」

「でも天気が良いから、いいですよ」

奥さんのほうが答えた。私が雪倉・朝日のほうにカメラを向けると、今度はご主人が言う。

「向こうの山が空いていて、良いんですよ」

と体験者らしいことを口にした。小さい池が見えるので、地図を広げてみると長池とある。平岩駅で一緒だった岐阜のおじいさんも、あの辺りを歩いているのか。

再び歩き始めた。登っている目の前が岩の斜面で隠されていたが、斜面が終わると突然右に大きな山が姿を現わした。地図に白馬旭岳とある。13時30分、白馬岳山頂に着く。そこには30人ほどいた。石でできた方向指示盤にタッチ。新田次郎の『強力伝』という本を思い出す。この大きな方向指示盤の石を、担いで運び上げた男の物語である。その男が大雪渓を登るとき、一歩一歩踏み出すごとに、背負った石の重さで、足が弓のように曲がって見えたというあの場面が心に残っている。

私は去年ここに立ったとき、健康のありがたさに、感無量の喜びに浸ったことを思い出した。胃腸病も良くなり、こうして「ふた夏」連続して白馬岳に来られるまでになった。病院の待合室で胃薬ができるのを待っていたころが懐かしい。過ぎ去った8年は帰ってはこないが、私は健康であることのありがたさを全身で感じながら、360度の眺望を楽しんだ。

嬉しい! 健康ってありがたい!

※本記事は、2019年9月刊行の書籍『山心は紳士靴から始まった』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。