第3章 AI INFLUENCE

第4項 希求

2 人々が求めていたもの​

人々が積極的に検索を支持するのにはイデオロギー・アレルギーも一役買っている。若い世代に行くほど、イデオロギーに対する不信感、嫌悪感は強まる。

長引く不景気、社会の停滞・混迷、それらに対する政治の対応を見るに連れ、右派も左派も、保守も革新も、実は庶民に優しくなかったことがバレてしまったからだ。

薄皮を剝はぐように徐徐に確かに貧しくなる国民の為に、或いは大不況という海原に身一つに放り出された若者の未来の為に、身を呈して闘うイデオロギーの標榜者たる政治家は殆どいなかった。

立法により流動的に効率的に人を働かせる雇用方法が主流化された。“自己責任”という言葉がその政策態度を追認した。社会は、人々の不安をよそに、荒れ地を均ならす様に経済的に洗練されていく。イデオロギーは、その弱い人々の盾にはならなかった。

イデオロギーの対語として、爽やかで清潔感のある効率性とか透明性とかが信頼され、重視されるようになった。効率的で透明であるとは、圧力や力関係を踏まえた忖そん度たくやそれを覆い隠す理想論や綺麗事なしに、物事が一義的にピシッと、最短に決まる事だ。

“一生正社員×専業主婦”。盤石かにも見えた家族の方程式は、四半世紀の時を経て、バブルの崩壊と共に雨上がりの水溜まりのように儚はかなくも消失した。

資本による地域経済の解体に伴い、定型化された生き方も解体され、社会と人間の結び付きは弱くなり、地域社会の監視、即ち“しがらみ”が人の生き方(考え方ではない)を限定しなくなった。ちなみにしがらみは「柵」と書く。

温存された道徳に半ば首輪をかけられたまま、人々は、稼ぎ方も、家族の作り方もその時期も、充実した余暇の過ごし方もそれを共有する仕事以外の生産的な人間関係も、ありとあらゆる、“生きるに付随するあれこれ”を選択しなければならない。

要するに、立場だけが複雑化した。そして、今やその前例はない。人々は、監視されながらも、漂う“判断”、この言葉を使うとき私の頭にはいつも深緑の奥行きを湛たたえた森が浮かぶ。

迷える人々の救済として新興の宗教が流行りカルト化し、追いつき穴埋めするようにアルゴリズムが整然と選択の密林(ジャングル)を均し、そこに一本のハイウェイを通した。

“Amazon”

見事なネーミングだ。個々のサービスを統括する概念が現れている。鬱蒼(うっそう)と生い繁る南米の熱帯雨林を通り抜ける一筋の河川。人々が氾濫する商品群から自分に必要な物を見つけ出し買うことは、一人広大な密林を彷徨(さまよ)うに等しい。Amazon Riverの川下り。川上から川下に流れに沿って行けば道に迷うことはない。

選択肢の過剰。それは販売者の苦労を見ても分かる。商品の氾濫は売る側に立てば、過度の競合になる。いかに自社の製品を覚えてもらうことが困難か。

テレビCMでは、その商品を別の社のドリンクに替えても十分に成立してしまうような栄養ドリンクの広告や、僅か十数秒の間に7回も商品名を絶叫する広告、社名を連呼しながら変な踊りを踊ってみたり、外国人に片言の日本語で説明させるのも定着した。かつてのメディアの長たるTVが検索をCMで薦めている。

イメージ(必然というか、家族物語が多いし強い)、反復、違和感。全ては見る人の印象に残し、生理的反応をもって、選んでもらうためだ。

それほどに商品は溢れ返り、見る方はいちいちそれらを覚えられない(覚えたくもない)程に、さほどそれらを必要とはしていない。

商品に限らず、人々が今切実に欲しているのは、これ以上の選択肢ではなく、自分にとってしっくりと来る、たった一つの解なのだ。

かくして、検索は迷える人たちの道標となった。他人の経験を自らの経験に代替し、成果を得るまでの経験と試行錯誤をショートカットするマニュアル本を駆使しながら時を稼ぎ、自らを納める柵を探すように検索を行い、その一つずつに答が出ることで安心を得る。謂わば心の支えとして、検索システムは人々の生活に深く根付いていく。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『人間を見つめる希望のAI論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。