一九七〇年 夏~秋

5 家出​

若宮神社をあとにした私と母は、小学校前の停留所から始発のバスに乗りました。小一時間揺られてT駅に到着すると、そこでまた南へ向かう列車に乗り、今度はA駅で下車しました。公衆電話から母がどこかへ電話をかけると、間もなく見覚えのある顔が迎えに来ます。

「マッちゃん。こっち」

ライトバンの運転席から手を振るのは、母の妹の逸美(いつみ)さんでした。大きな旅館の女将(おかみ)をしていると聞いていました。

「イッちゃん久しぶり。忙しいのにごめんなあ」

母がT駅前で買った『棒ういろう』の包みを差し出します。

「こんなんええのに。次からは絶対に気い遣(つか)わんとってな」

逸美叔母さんは綺麗に髪の毛をセットし、上品な化粧を施した顔を綻(ほころ)ばせました。姉妹なのだから似てはいても、農婦の板についた母の顔とは、どこか根本的に異なっています。私に百姓を継がせたくない母の気持ちがわかる気がしました。

「はよ乗って。暑いじゃろ」

ドアに『まんの旅館』と書かれたライトバンの荷室に、母の風呂敷包みと私のランドセルを放り込んだ逸美叔母さんは、颯爽(さっそう)とハンドルを握って残暑の中へ勢いよく車を発進させました。創業が江戸時代初期の『まんの旅館』は、歴史の息吹を感じさせる老舗旅館でした。

大きな二階建ての木造数寄屋(すきや)造りで、かつては時代を代表する文人墨客(ぶんじんぼっかく)が逗留(とうりゅう)し、季節によって様々な趣(おもむき)を楽しめる回遊式日本庭園の、樹齢三百年以上の赤松や胴回りが一抱えもある錦鯉(にしきごい)たちを鑑賞したり、創業当時の御影石(みかげいし)を用いた露天風呂に浸かって疲れを癒したりしながら、鋭意創作に勤(いそし)しんだと言います。戦争末期の空襲で建物の一部が焼失しましたが、先代の万野与兵衛さんが戦地から無事帰還したのち、戦後の資材不足にもかかわらず、速やかに建て直して旅館業を再開し、現在に到っているとのことでした。

与兵衛さんの末の息子で現在の主人である、万野芳典さんと逸美叔母さんが恋愛結婚したのは、母が山野家へ嫁いだ翌年でした。長女を百姓屋へやったことを、心底後悔していた母親の藤子さんは、この良縁をいたく喜んで、婚礼の日には隣の村まで赤飯と砂糖菓子を配ったそうです。

「ちょっと狭いけんど、ここを使うてな」

逸美叔母さんは突然転がり込んできた姉と甥っ子を、長い廊下を行き詰めた所の小さな納戸(なんど)へ案内しました。建て付けの悪い板戸を引くと、小さな嵌(は)め込み窓しかない三畳間は、埃と黴(かび)のにおいがしました。布団が一組だけ用意されています。

「ありゃ、掃除しとくようにゆうといたのに。すぐに下男にやらせるけん、ちょっと待ってな」

踵(きびす)を返しかけた逸美叔母さんを、母が押し留めました。

「かんまんけん。掃除くらい自分でするけん。みんな忙しいのに、ほれくらいのことで人呼ばんでもいける」
「ほうで。べつに遠慮せんでもええのに。ほれで給料払いよんじゃけんな」

高飛車(たかびしゃ)な態度で言います。

「ケンちゃん、久しぶりじゃなあ。前に森西のお父さんの法事で会うてから何年になるで。ちょっと見んまに大きいなったなあ。あとで久子や民恵と遊んだらええわ」

従姉妹の久子は私より一つ、民恵は二つ年下でした。母の実家の法事で遊んだことがありましたが、私は彼女たちの顔を咄嗟(とっさ)には思い出せませんでした。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『金の顔』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。