第2章 山心の萌芽期

【東鎌尾根】 チーズもらって飴玉返す ~1973年7月(36歳)~

北アルプス単独登山

上高地で見た奥穂高岳から前穂高に続く吊り尾根の神々しいまでの岸壁と、夏でもたっぷりと敷き詰められた槍沢の雪渓から見上げた槍ヶ岳の大三角形の景色が忘れられない。今度はほかの北アルプスにも行ってみたいと思った。

誰かに連れて行ってもらうのではなく、一人でも行きたいときに出かけたい。そのために足腰を鍛えようと思った。

学校の勤務時間が終わると、校舎の階段の1階から4階までを登り降りし、近所歩きを60分から90分に長く延ばしてみた。また、実際の山登りには平らな道歩きで訓練してもあまり効果がないように思えたので、川岸の歩きにくいコンクリートの上をジグザグに歩いたり、腿と膝の筋肉を使う自転車漕ぎもやって体をいじめた。

休みの日に時間があるときは、東京近郊の低山に「日帰り」で向かった。高尾山、丹沢大山、箱根山、武甲山、二子山、伊豆ヶ岳、日光白根山、男体山、筑波山、谷川岳、黒斑山、浅間隠山、武尊山、赤城山、榛名山など。低山でも登山の喜びは味わえるが、高い山を時間を使って登ると、感激が大きいことも知った。

山のなかで一人になって心細くなるときや危険な岩場に差し掛かったときには、槍ヶ岳に同行した少佐の言葉を思い出した。槍ヶ岳は頂上まであと少しのところに2〜3メートルの岩場があり、落ちると200〜300メートルほど落下して確実に死んでしまうような難所がある。

そこで少佐は「匍匐(ほふく)前進の気持ちになれ」という心構えや、「人間は普段は二足歩行だが、危険な岩場になれば、自然と四つん這いになるものだ」と教えてくれた。そして少佐は槍ヶ岳を下山したあとにこう付け加えた。

「槍ヶ岳山荘の前で敵前逃亡するかと心配したよ、あんたのことを」と言ってにやりとした。

そして、「戦場では鉄砲の弾が怖いが、山では落石が怖い。軽々しい気持ちはいけないが、慎重に行動すれば怖いことはないよ」と締めくくった。あれから5年、今回初めて自分で地図や宿泊小屋も調べて、一人で行ってみようと思って北アルプスに出かけてきた。

東京から長野県安曇野市にある中房温泉まで行って1泊。北アルプス表銀座は燕岳(つばくろだけ)の燕山荘で2泊目。36歳の夏である。

燕山荘から大天井岳の間にある切通岩までは、平らに近い歩きやすい道が続く。石段を下りると目の前の岩にレリーフがあった。槍ヶ岳までの登山道を切り開いたという小林喜作という人のものだ。

私は左の常念岳への道と分かれて、右の道を進んだ。細い石ころだらけの道になる。左は大天井岳への急斜面が上に延び、右は落ちたら体がどこにも引っかからないような崖だ。

緊張した岩場を過ぎると気の休まる道になるが、ホッとしたと思うとすぐまた危険な岩場に出る。慎重に一つひとつクリアして進む。こんなところで強風や雷に出会ったらと思うとぞっとする。

燕山荘を午前7時30分に出発したときには快晴だったのに、空模様がおかしくなってきた。午前10時20分。雨が降り出す。私はリュックからポンチョを出して着てみたが、前にも後ろにも人影なし。

雨のなかの一人歩きは心細い。やっと危険な道が終わり、緩やかな道になった。向こうから登って来る人が霧のなかにぼんやり見える。

人影が近づいて来た。寂しさと闘ってきた私は、人と会話がしたかった。

「大天井ヒュッテはまだですか?」と私が聞くと、合羽を着たその人は、「もうすぐこの下ですよ!」と優しく教えてくれた。雨は強くなってきたが、私はホッとした。

大天井ヒュッテ到着、午前10時40分。時間は早いが、天気が悪いため、ここに泊まることにした。1泊2食1900円。食堂からラジオのニュースが聞こえてくる。台風6号が引き返してきたという。

「燕から来たけど、また燕に引き返そうかな?」という声がする。「何日か前の新聞に、東鎌尾根で二人転落したと出ていましたね」別な人が言う。「昨日も水俣乗越(のっこし)で一人落ちて全身打撲とか、救助隊の人が向かったそうですよ」私は怖い話を聞いてしまった。

初心者で単独登山の私は、これからどういう行動を取ったらいいのか。私は前に進むも引き返すも、大変なところに来てしまったと思った。東鎌尾根がそんなに危険なところなら、私も燕山荘へ引き返そうか。でも喜作新道からここまでの怖さは、たったいま味わったばかりだ。

私は慎重に時間をかけて、燕岳から槍ヶ岳へ向かうパノラマコースの中間にある西岳小屋のほうに進んでみようと思った。そのためには明朝の出発は早いほうがいい。慣れている人の2倍くらい時間をかけて歩こうと思う。

※本記事は、2019年9月刊行の書籍『山心は紳士靴から始まった』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。