11月27日(金)

辛抱するしか、……

今日は会社を早く引き、6時に良子を訪ねた。

鼻のチューブは取れていた。昨日のような辛い表情はなかったが、やはり笑顔はなかった。

それでも、ほんの少しは改善していた。「今日は2度、院内を歩いた」と言った。

「げっぷは出るのにオナラが出ない。ガスがあるのは分かるのに、出ない」

不安そうに言った。再びみたび、オナラが最大の懸案となった。

ナースが点滴液を交換した。

しばらくしてナースが粒状のクスリを2粒良子に呑ませた。痛み止めとのことであった。

「時間が経つにつれて楽になると看護師さんは言っている」と良子は言った。
「辛抱して、時間が過ぎるのを待つしかないね」

今夜は7時半からフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ今季第6戦、NHK杯の放映がある。良子は極端な近視なので実際にスポーツ観戦しても楽しめず、競技場へは行かない。しかしテレビで見るのは大好きで、スポーツ全般、ゴルフ、競馬を含め、私より数段詳しい。フィギュアスケートも大好きである。

私は、「見ると疲れるから、音だけでも聞くかい?」と言った。良子はうなずいた。

私はテレビのスイッチを入れ、チャンネルをNHKに合わせた。

そして7時過ぎに病室を出た。

良子は手を振ったが、腕は上がらなかった。

帰って、シャワー前に体重を量ると、70.5㎏で、ついに71㎏を切った。いずれ60㎏台に入るのかもしれない。夕食前とは言え、20歳代の体重である。

11月28日(土)

日柄もの

今日は初冬の好天で気持ちが良かった。道路に面する生け垣の白侘助が、次々と花をつけている。この椿は花期が長く、来春まで咲き続ける。ウグイスはしきりに蜜を吸う。ムクドリは時折、花びらそのものを食べる。道路に花びらがいっぱい散っている。私は丁寧に掃いた。

今日は日中都内に用があったので、良子を見舞って、その足で行こうと思った。

8時半に病室に入った。

良子は明らかに昨晩より好転していた。それを言うと、
「日柄ものやからね」と言った。
「何やそれ」

私はその言葉を知らなかった。お日柄も良く、というのは結婚式でよく使われる。しかし明らかにその意味でない。

「お父さん、そんな言葉知らんの? 帰ったら辞書で調べてみ」

とは言うものの良子も、ナースから教わった言葉であるらしい。私たちの会話に初登場の言葉である。なかなか良い語感の言葉だ。

どうやら、時が解決するという意味のようだと見当をつけた。日にち薬という言葉は知っている。それに近いのであろう。

「真央ちゃん、転んじゃったなあ」
「体にキレがなかったね」

昨夜帰るとき、NHK杯フィギュアにチャンネルを合わせておいたのであるが、見ずに音だけ聞くように言っておいた。疲れると思ったのである。しかし見たのだった。私はテレビをつけて帰って良かったと思った。

「羽生君は素晴らしかった」

良子は男女全部見たのだ。

私自身は見なかった。

夜にあい子と病室を訪ねた。

ベッドを起こし、テレビを目線の正面において、NHK杯フィギュアスケートを見ていた。羽生が演技を終え採点の掲示を待つところであった。

「羽生君、見事やったわね」

得点は322.40と出た。画面の羽生の顔が輝いたが、私たちも声を上げた。

随分良くなった。懸案はオナラである。まだ出ない。早く出てほしい。

促すように私は見本を一発やった。あい子が睨んだ。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。