第一章 嫁姑奮戦記

胃潰瘍でT病院に入院したのだが、そのときの錯乱はすさまじかった。

入院して三日目のことである。前日は忙しくて面会出来なかったが変わりあるまい、と軽い気持で病室を訪ねたところそこには居ない。

すると部屋の人たちが口々に一晩中騒いで大変だったので、個室に入れられたと説明してくださる。煙草片手に歩き回るのでカーテンに火がつかないかと心配したし、独り言は言うし皆眠れなかったそうだ。

私もまさかそんな事態になっているとは思ってもいなかったので、ただびっくりするばかり。とりあえず皆さんに謝り、急いで詰所に行く。

看護婦さんにはこれまた信じられないことを聞かされる。

二日目の午後訪ねた時は、これといって変わった様子はなく私も安心して帰ったのだが、夕方薄暗くなり始めた頃から様子がおかしくなり、幻聴や幻覚が現れ出し、煙草を片手に独り言を言いながらあっちこっちの部屋に入り込み、その都度連れ戻され、三階の病室の窓から外に出ようとして部屋の人たちが仰天して足を引っ張り転落せずに済んだものの、危険このうえなく、とうとう個室に移動させたとのことだった。

個室に移ったら移ったで、猿が十何匹も壁にへばりついてると言ったり、誰かが何やら言ってうるさいとか独り言を言って、一晩中寝なかったらしい。聞けば聞くほど奇怪な話だった。

婦長さんによれば多分環境が変わったせいで急に痴呆になったのかもしれないとのことだった。

とにかく本人に会いに行く。

「昨日来なかったら、えらいことになっているやないの」と言うと、
「何でや知らんけどこんなとこに入れられてん。廊下通る人が皆うち見ていかはるわ」

広い二人部屋の入り口は開けられ、重いストレッチャーなどで出られないようにしてある。ベッドに腰掛けている姑は何ら変わりないように見えた。パジャマも着ず普段着だった。

「公ちゃん、おじいさんの葬式もう済んだ?」といきなり変なことを言う。おじいちゃんはちゃんと生きていて一緒に家に居ると言うと、舅が死んで隣のベッドに寝かされていたのに生きてるのと不思議そうに言う。

聞いているこっちのほうが薄気味悪くなってくる。それに舅が病室に通っているむき出しの大きな配管に吸い込まれて行くので、必死に引っ張ったとも言う。

「考えてごらん、そんなはずないでしょ」と管を指さして言うと、不思議がり、
「やっぱりうちおかしいんやろか」と言う。それと猿が鈴なりになって壁にへばりついていたとか、他にもありえない物が見えたり聞こえたりしたというのだ。

煙草を取り上げられたと聞いていたので、禁煙による禁断症状ではなかろうかとふと思った。以前、映画でアルコール依存症の人のそのようなシーンを見たことがある。

「おばあちゃん、きっと煙草をやめたから禁断症状が出て変なものが見えたり聞こえたりするんやわ。そのうち治るわ」と言うと、「そうかもしれんな。うち気がおかしくなったか思うて心配したけど」とまともな受け答えをする。

一応安心して帰ったが、翌朝本人が突然帰って来た。どうやら無断で抜け出したらしく、病院から電話がある。なだめすかして病院へ連れて行く。

道々おかしなことを言うので事実と違うと言うと、やっぱりうちおかしいなと言うので、煙草やめたせいだから、そのうち治るからと言うとそうやなと納得した様子である。

その頃私もパートで働いていたので、終わって四時過ぎに行くが、看護婦さんにお聞きすると昨夜も幻覚がひどく全く寝ていないようだと言われる。禁煙のせいではと言ってみると、それはないと否定される。取り上げても勝手に買って吸うし、個室でも隠していたのを吸っているらしいとのこと。危険なためカーテン等も外してある。

翌日姑を訪ねると変わりない様子だが前日と同様おかしなことばかり言う。家の話などを言って聞かせると全く普通に会話している。

ところが、翌日の午後になって再び手提げ袋だけ下げて帰って来る。病院に電話すると、当院では扱いかねるので引き取ってもらいたいと言われる。

自分の家以外に住んだこともないし、他人の家に泊まったこともない人だから他所に来て不安のためパニックになったのか。それとも年のせいか。

不思議なことに肝心の胃の症状はすっかり治って手術の必要もなくなった。

※本記事は、2018年1月刊行の書籍『嫁姑奮戦記』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。