人は辛いことを覚えている

病院生活が10日間も過ぎると自分の病室の廊下を挟んで向かいの部屋にも気心の合うおばさんができた。

「どうぞこちらにもいらっしゃいよ」

と呼び込んでくれた。すると病室の中には子ザルのMチッチ人形のようにかわいいおばあちゃんがいた。その気心合うおばさんは病室のメンバーを紹介してくれた。

なんとMチッチおばあちゃんは88歳で、ベッドの上にちょこんと正座をして周りのみんなの会話をニコニコ聞いている。ピーチクパーチク雑談の合間に時々Mチッチおばあちゃんの経験談が入ってくる。

外科の病室は2~3週間で退院する人が多い。盲腸なども当時は1週間ほどだったと記憶している。そのうちに気心合うおばさんが退院するとその後はMチッチおばあちゃんと二人きりの会話を楽しむようになった。体験談には戦争の話もあったが、とびきり覚えているのは「嫁いびりをされた」という話だ。

「人はね良いことより辛いことの方が覚えているんだよ」

「ほうほう……」

33歳の私は心の中では逆ではないかと思った。

「嫁入りしたらお姑さんがね、何もしてないのにイライラするからと竿で私を突くんだよ」

「えええー、ほんとですか?」

強烈な話だ。いじめとかのレベルではない。

「洗濯物を干す、物干し竿があるでしょ。あの長ーい竿で『エイッ、エイッ』って何回も突くんだよ」

ジェスチャーつきで話すが理解不能。きっと私の表情は「???」顔だ。

「人はね楽しいことや良いことよりも、辛いことや嫌だったことの方が忘れないで覚えているもんなんだよ」

とMチッチおばあちゃんはニコニコして笑い話のように話してくれた。もう昔むかし過ぎるのか、憎しみも何の一感情もない。ただ出来事を普通に笑顔で話している。笑顔というより恵比寿顔だ。聞いている私も、もらい笑顔になるが……。

「はぁー、そうなんですか~」

ともらい笑顔は微妙な苦笑いになる。自分の嫌だったことがすぐ頭に浮かんだ。

小学生の時に服や靴を隠されていじめられたことを、確かに忘れずに覚えている。しかし、その時に助けてくれた子がいて、その子の名前は今でもフルネームで覚えている。正義の味方を絵にかいたような子である。「今頃どうしているかな」と考えながら話を聞いていた。

Mチッチおばあちゃんは何てったって「88歳」、長い月日色んなことを経験してきたんだろう。自分の親の戦争体験や幼い頃の苦労話は耳にタコであるが、母親もおばあちゃんも当時を振り返って話す表情は温かい。遠い昔を懐しんで微笑んでいる。過ぎれば辛いことも一つの思い出に変わるのだ。

※本記事は、2022年11月刊行の書籍『おっぱいがウインクしてる』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。