【前回の記事を読む】水と戯れる家族、赤い橋、秋の弱々しい木漏れ日…絵画的な幻想が漂う奈良井川

第一章 旅

離島にあこがれて

敦賀港に立ち寄った時、そこに遠い彼方から日本にやって来たユダヤ人の方々を思いやった。いうまでもなく杉原千畝氏のことだ。

彼は一九〇〇年、岐阜県の武儀郡上有知町(現美濃市)で生まれた。秀才で早稲田大学の英語科を中退し、外務省に就職した。リトアニアに日本領事館を開設し領事代理となりドイツ、ヒトラーから追われた人々の話はもはや世界中の賞賛の的となったことは日本人として誇っていいことだ。

そのユダヤ人は遠くエジプトの地から、カナンの地を探し求めた。出エジプト、バビロン捕囚という二度の苦難を乗り越えたという話は旧約聖書に書かれている。私はここでその続きを考えてみたい。

失われた十部族と言われるが、急に失われるわけはない。そう、それは全世界に散らばったのだ。長い年月をかけて。親から子へ、そのまた下へと。こうして繋がった子々孫々一派はシルクロードを通って日本へもやってきたのだろう。

事実奈良の正倉院にはペルシャの絨毯が展示され、伊勢神宮には赤い天狗黒い仮面、中央アジア人と思われるお面が展示されている。これは古代より各国の人々が日本へ来た証左だろう。彼らの日本到達は数千年かけてこちらへ向かったのだろう。歴々と繋がる偉大な歩みに私は敬意を表したい。

日本の南北朝時代、天皇家が二つに分かれて戦をしたことは歴史の事実。ひょっとするとこの争いには当時の天皇家で先祖がユダヤ人であることを公言するか否かという論争があったかもしれないと考えた。

平家物語には平清盛は高熱にうなされて死亡したとある。これはマラリアであろう。日宋貿易で運ばれた品々にネズミや蚊が入っていても不思議ではない。こうしたことから考えると日本は古くから世界とつながっていたことがわかる。壮大な古代からの歩みは今も続き、今日ではインターネットで全世界に情報発信されている。

現在の我々は人的、歴史的にすべて繋がり、途切れていない。