【前回の記事を読む】自堕落な生活を送る息子…「いいご身分だねえ」母の嫌味に思わずほくそ笑む

第一章

2 七月三十一日挑戦開始

ふるさとの町をこうして自転車で走ることなど、学生の時以来かもしれない。変哲もない地方都市の風景である。図書館にたどり着くには、田園も、巨大自動車工場の脇道も、排ガスの匂い立つ県道も通っていく。

かったるいママチャリで、真夏の真昼間にとろとろ走るなんて、冷房オフィスでなまってしまった今の私にはけっこうきついものがある。太陽にあぶられ、灼熱のアスファルトの照り返しにねぶられ、私の意志は早くもくじけそうになってしまった。マスクは無論、暑苦しすぎてあごに外してある。

(よくやってたなあ、こんなこと)

思わずつぶやいてしまう。過去の私を、現在の私は羨望し呆れもする。しかも若い時と違って、根性も体力も衰えている。やっぱり車はいい。それが衰えた私の偽らざる感想だ。速いし、涼しい。そして私は車を所有している。

なのになぜ自転車なのか? それは日記に書いてあるから。しかしそこまで真似しなくても。いや、これは決めたこと。これが私のチャレンジであり、夢なのだ。

私は過去の自分をもう一度生きてみるために、帰ってきたんじゃないのか? 汗をかきかき、こんな問答で自分を励ましては、自転車を漕ぐ。すぐ脇を、快適冷房の車が追い越していく。

(氷充圭一クンよ、こんなことをしてたら、本当に心の密度は濃くなるのかい? 車はそんなにダメだろうか? 心が薄くなる? 広くなるんじゃないだろうか? 現に車を所有することで、オレの心は広がったぞ?)

私は恨めしく過去の自分に問いかけるが、そこからの返答はない。けれど私は答えを知っている。どちらも正しいのだ。これは経験上の答えである。

車を所有することで、もっといえば社会人となり家庭を持ったことで、私の見聞は広がるとともに、心は薄くなっていった。それが大人になるということだし、マイナスであるよりむしろプラスである面が大きいことも分かっているから、私は現在の自分を否定などしない。

にもかかわらず、それを否定するかのような行動を私は開始してしまった。若き日に記した日記の通りにもう一度生き直してみる、という、はたから見れば奇異でしかない行為を。

しかしこれが、私の生き方を変えるチャレンジなのだ。これをしないことには、青春を取り戻し若返りを果たさないことには、私は小説を書けない。