一九七〇年 夏~秋

4 マユミの嘘泣き

明けの明星に向かって、私たちは歩き出しました。足元の泥濘(ぬかる)みが下ろしたての運動靴を汚し、ランドセルは目一杯に膨らんでいます。大きな風呂敷包みが母の背中に乗っていました。隣家の門屋を過ぎようとした時、私は悄然(しょうぜん)と暗がりに立つ洋一を、驚きと共に見つけたのでした。

「ヨウちゃん、どなんしたん」

パジャマ姿の洋一に、母が話しかけました。無言で俯(うつむ)く洋一は裸足(はだし)でした。その足の甲に大便が乗っています。ズボンはずり落ち、便臭が朝まだきの空気に漂っていました。

「いけるんで」

母は暗闇に沈む佐々岡家を見遣(や)りました。葬儀の後の恐ろしげな静寂に包まれています。

「わかんみゃはんい行かんで」

母が洋一の背中を押しました。若宮神社には井戸がありました。電動ポンプが手水鉢(ちょうずばち)に地下水を汲み上げています。母は洋一のパジャマを脱がし、手際よく汚れを落としてやり、タオルで拭いて私の体操着を着させました。

「風邪ひかれんでよ」

風呂敷包みから出した浅黄(あさぎ)色のカーデガンを羽織らせます。

「マユミちゃんは」
「寝とう」

洋一が重い口を開きました。

「どなんする。一人でいねるで」

洋一は虚(うつ)ろな表情で黙っています。

「まあほこい座らんで」

母が格子のある拝殿へ歩き、二礼二拍手一礼してから、賽銭箱の前の階段に腰かけました。洋一は狛犬(こまいぬ)の尻を触りながら、裸足の爪先を擦り合わせています。私は些(いささ)か退屈してきました。

「ブランコ乗ってもええん」
「ええけんど、こけられんでよ」

母は幼児の私が同じ場所で落ちて、おでこに擦り傷を作ったことを思い出したようです。そのとき、母がしてくれたのは、飛んできて私を抱え起こし、大事に到らないことを確かめると、喜びながらきつく抱き締めて、母犬のように傷を舐めることでした。海苔(のり)のにおいのする口の、熱い舌のうっとりとする感触が、今でも額に残っています。

「いける。こけへんよ」

私は一人でブランコに乗り、精一杯足を振って漕(こ)ぎました。錆びた鉄の吊り紐が擦れ合う音が、明け方のひんやりした空気に拡散していきます。しばらくすると額に汗が滲み、かじかんでいた手足は温もりを取り戻しました。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『金の顔』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。