東京憲兵隊特別高等警察、いわゆる「特高」の主任、木坂圭介(こさかけいすけ)曹長は、机の上の電話を手元に引き寄せ、部下の谷口軍曹からの連絡を待っていた。

金とバクチ絡みの弱みをネタにスパイに仕立てた陸士の衛兵班長の軍曹から、満州へ行っているはずの田島邦明中尉が突然帰ってきたという密告電話がはいり、その確認と理由を探るため、谷口軍曹と桜木伍長を陸士へ急行させてからすでに二時間。

まだ何の連絡もなかった……よくない兆候だった。

木坂は背後に掛かっている柱時計を見上げた。

間もなく八時。今夜もまた深夜のご帰還ということになりそうだった。

土曜日ぐらいは、小学生の三人の娘たちと夕食を一緒にすることになっていたのだが、だからといって何時までも待たせておくわけにはいかなかった。

で、自宅に電話を入れた。

「また今夜も遅くなりそうだ。みんな、かわりないかな?」

「ええ、みんなかわりありませんよ」

「そうか、お前も何時までも起きてないで先に寝ていいからな。お前さんが倒れたら、おれが困るからな」

「ええ、大丈夫ですよ。わたしはそう簡単に倒れやしませんから」

「鬼の霍乱(かくらん)ということもあるからな」

と、ただそれだけだったが、それが彼の目いっぱいの愛情表現だった。

東京憲兵隊は、関東大震災で壊滅的な被害を受けた帝都東京の、奇跡的と海外からも驚嘆された復興と近代化によって、いわゆる「オフィス街」に変貌した大手町の広い交差点の一角に、宮城を背にして建っている憲兵隊司令部の庁舎内に併設されていた。

周辺には、大蔵省、逓信(ていしん)省、文部省、農林省、内務省など、諸官庁や日本を代表する商社や銀行のビルが、これも近代化を競い合うように犇(ひしめ)いていたが、こちらは未曾有(みぞう)の大震災にも耐えた、今は昔の和洋折衷の苔むしているような二階建ての木造庁舎だった。

が、見方によっては、それがかえって復興と近代化の名の下次々と消えてゆく、いわゆる「明治の名残」と、帝国陸軍の憲兵隊の総本山としての威厳と風格を泰然(たいぜん)と堅持しているかのように見えなくもなかった。

木坂が勤める特高班の部屋は、そんな庁舎の、お偉方の靴音が絶えず天井に響いている一階の片隅にあった。

が、部屋は片隅だったが、実質的には憲兵隊の実務を担う第一線の中核部隊で、一東京憲兵隊の枠を超えた司令部直属の軍事警察として、軍関係の事案は陸海軍大臣の指揮命令で職務を掌(つかさど)り、行政関係は内務大臣、司法関係は司法大臣の指揮で職務にあたる帝国日本の国家体制を水面下で支える、いわば国家の「特務機関」の一つといっても過言ではなかった。

その一端を露呈(ろてい)した事件が、関東大震災直後に起きた甘粕正彦(あまかすまさひこ)憲兵大尉の犯行とされるアナーキスト大杉栄(おおすぎさかえ)拷問扼殺(やくさつ)事件、いわゆる「甘粕事件」であった。

それは新聞でも大々的に報じられ、当時の「大正ロマン」が花開く一方で、急速な近代化の歪(ひずみ)と、それに伴う政治、経済、思想、等々の混迷が日ごとに増大する社会に、乾燥しヒビ割れた荒地に雨水が浸(し)み込むように社会主義が浸透し、「プロレタリア文学」も台頭するなど、良きにつけ悪しきにつけ、いわゆる「大正デモクラシー」を謳歌していたロマンチシズムな風潮に、いきなり冷水を浴びせたような事件であった。

またそれによって、それまでは一般国民には無縁と思われていた憲兵隊が、けっして無縁の存在ではないことを世間に知らしめると同時に、大震災後の深刻な不況とも相俟(あいま)って国民の困窮と社会不安は募る一方で、官憲による言論や思想の弾圧も次第に苛烈(かれつ)になり、人々に暗い時代の到来を予感させた事件でもあった。

因(ちなみ)に、大震災から十年後の昭和八年には、プロレタリア作家で『蟹工船』の作者小林多喜二(こばやしたきじ)が、「治安維持法」で警察に検挙され、やはり拷問によって殺される事件が起きて人々を戦慄(せんりつ)させた。

後年、作家松本清張(まつもとせいちょう)は『昭和史発掘』のなかで、自身の体験を次のように回顧している。

「昭和八年、私は八幡(やはた)製鉄所の労働者数人とつきあっていた。二十一、二歳のころである。その労働者は非合法の出版物を購読していた。彼は雑誌の『戦旗』を読んでいて、いかにも人目にふれるのを恐れるように、雑誌を私に見せるときも用心深く外に目を配ったりした。ある日、彼の家に遊びに行くと、彼か、その友人かが、

『小林多喜二は拷問で殺されたらしい』

と、暗い顔をしてささやいていた。

『あんな立派な作品を書く作家を殺すとはひどい』

と、彼は長い髪をかき上げながら呟くようにいっていた。

彼らはひどいショックをうけていた。

そのころ北九州の労働者の間でも小林多喜二は偶像であった。

まもなく、私の友人の労働者たちは逮捕され、私もまた側杖を喰って検挙された」

と、そんな人々が息を殺して暮らさなければならないような暗い世相もまた、いわゆる「国家改造」を唱える一部青年将校等の活動に拍車をかけ、日本の空を覆いはじめた暗雲をより暗く不気味なものにしていた。

ドイツ文学者で『ビルマの竪琴』の作者としても知られる竹山道雄(たけやまみちお)も、学生だった当時の社会相の一端を次のように述懐している。

「インテリのあいだでは左翼思想が風靡して、昭和のはじめには『赤にあらずんば人にあらず』というふうだった。指導的な思想雑誌はこれによって占められていた。若い世代は完全に政治化した。しかし、インテリは武器をもっていなかったから、その運動は弾圧されてしまった。あの風潮が兵営の厚い壁を浸透して、その中の武器をもっている人々に反映し、その型にしたがって変形したことは、むしろ自然だった。その人々は、もはや軍人としてではなく政治家として行動した」と。

そして、そうした行動、すなわち一部青年将校等による「国家改造運動」は、その型、すなわち国防の第一線に立っているという使命感と、揺るぎない殉国精神にしたがって尖鋭化の一途をたどっていった。

が、それは「世論ニ惑ハズ政治ニ拘ラズ只々己ガ本分ノ忠誠ヲ尽シ──」と戒めた、軍人の聖典ともいうべき『軍人勅諭』に反することであり、特高主任の木坂としては看過できないことであった。

もっとも、今では国政を左右する幕府的存在になっている陸軍の参謀本部の初代本部長で、その軍人勅諭を発布した維新の功労者山県有朋(やまがたありとも)自身が、だれよりも「世論に惑い政治に拘かかわった」ことは、これまただれもが知るところだったが。

待っていた電話が鳴ったのは八時を十分ほど過ぎてからだった。

木坂は火をつけたばかりの煙草を灰皿の縁で揉み潰し、受話器をとった。

「あっ主任、やられました!」谷口の声はか細かった。

「やられた?」と、木坂の顔も少々曇った。

「まかれました……途中で、つまりその……先回りをして待っていた替え玉に、まんまとすり替わられました」

「替え玉? そうか、こちらの尾行はお見通しだったというわけだな」

木坂としては、それはさほど驚くことではなかった。

彼等も監視されていることは百も承知であり、「いざ鎌倉(かまくら)」というときには、如何に帝国陸軍の青年将校といえども人の子、それなりの用心をするのが当然といえば当然だった。

にしても、これまでは憲兵隊など眼中にないといった、プライドが軍服を着ているような彼等青年将校がはじめて見せた、らしからぬ振舞いだった。

気にいらなかった。

「もうすこし詳しく話してくれるか」            

「は、それはその、陸士前の通りを、新宿方面へ歩いて十分ほどのところにある荒寺で、先回りをして待っていた村中中尉とすり替わったに違いありません。田島中尉の姿が視界から消えたのは、その一瞬だけでしたので……それに、言い訳がましいようですが、田島中尉が手にしていた軍刀を、村中中尉がこれ見よがしに持って寺から出てきましたので、それでまんまといっぱい……面目次第もありません」

「なるほど、そういうことか……で、お前さんは、いま何処(どこ)にいるんだ?」

「は、代々木駅前の蕎麦屋の、斜向かいのクスリ屋ですが……村中中尉は、今は、その蕎麦屋で蕎麦を喰っています」

「桜木伍長もそこにいるのか?」

「いえ、桜木は裏口の方を見張っていますが、どうしましょう……むっ! 村中中尉がもう出てきましたが、どうしましょう? このまま尾行をつづけても、ああ、ちくしょう!」

「なんだ、どうした?」

「ヤツが、こっちへ手なんか振って……クソッ、なめた真似を、えっ、クソッ!」

木坂は受話器を耳に当てたまま苦笑をもらした。

目を吊り上げてクソを連発している谷口の顔が見えるようだった。

「まあ、そう熱くなることもないだろう。だが、穏健慎重派の旗頭だと思っていた田島中尉がそんな真似をするとはなあ。あるいは取越し苦労かもしれんが、『君子は豹変す』というし、ご苦労だがもうひと働きしてもらおうか。撒(ま)かれた埋め合わせだと思ってな」

「ええ、何なりと。わたしもこのままでは今夜はとても寝つけそうにありませんから」

「それじゃこれから中尉さんの家へ行って様子を見てきてくれるか。中尉さんが満州へ行っている間は何事も起きないだろうと高を括くくっていたが、その間にバクダンが山ほど運び込まれているかもしれんからな。人の出入りがなかったかどうか、近所で訊いてみてくれ。 中尉さんの家は、たしか青梅街道の淀橋(よどばし)の近くだったな?」

「そうです。では直(ただ)ちに」

「まあ、それほど慌てることもないだろう。そこからなら円タクを飛ばせば十五分もあれば充分だし、たとえ準備万端整っていようと、田島中尉以外の連中には目立った動きもないし、帰国早々事を起こそうってわけでもないだろう。

それより、お前さんたちも晩飯はまだなんだろう?」

「ええ、まだですが、飯はヒマができてからにします」

「まあ、そう張り切らずに、その斜向かいとやらの蕎麦屋で、しっかり腹ごしらえをしておいたほうがいいだろう。腹がへってはというし、ひょっとすると今頃は、中尉さんの家で同志たちが車座になって作戦会議の真最中ということも無きにしも非ずだ。そうなると飯を喰っているようなヒマはないかもしれんからな」

「は、アいえ、その時はその時です。飯は腹の蟲(むし)が治まってからにします。いま喰っても身につくとは思えませんので」

陰では「クソ鬼軍曹」といわれている谷口らしい答えだった。

木坂の口許に苦笑がこぼれた。

「そうか、それじゃあわたしも、ここらで田島中尉殿にお目にかかって、一度ご挨拶しておいたほうがよさそうな潮時だし、会えるかどうか分からないが、ちょっと寄り道をして、久しぶりに西田元少尉にもご挨拶してから帰宅するから、そっちの結果は電話でいいから家のほうに報せてくれ。たとえ真夜中でも遠慮することはないぞ。官費で電話をひいてあるのは、こういう時のためだからな」

「はっ、承知しました。では直ちに田島中尉の家へ向かいます」

いうが早いか電話が切れた。

その電話をかりた礼もそこそこにコートの裾を翻(ひるがえ)し、クスリ屋を飛び出していく谷口軍曹の勇姿が見えるようだった。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『泣いてチャップリン』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。