【前回の記事を読む】両親に失業をカミングアウト。母はその場では非難を示したが…

第一章

2 七月三十一日挑戦開始

『七月三十一日(土)朝五時に寝て、昼十一時半過ぎに起きる。

残念! 世界は終わっていなかった。一九九九年七の月、世界は滅びるんじゃなかったっけ? さすがにノストラダムスなんか信じるつもりはないけど、滅びることを期待していたのに。今日は七月最後の日、まだ一日あると思い、期待しながら待つことにしよう。

ぼくは相変わらず自ダラク生活を送っている。月曜から前期期末試験が始まるというのに、勉強など何もせず、しばらく前からやりたい放題に自ダラク、ムイの生活に明け暮れ、こんなことじゃ駄目だ、こんなことじゃ駄目だ、と言い聞かせるのが唯一の行為、努力、らしかったけど、今じゃ慣れきってしまってただの習慣。習慣といえば、起き抜けのオナニーもそうなりつつある。朝立ちしてるのだからしずめる必要があるとばかりに、また今日もやってしまった。こんなんじゃ駄目だ。チンポコ切っちまえ!

母親にネボウを責められながらメシを食う。まずいメシがもっとまずくなる……』

二十二年前の七月三十一日と同様、私は昼近くに起床した。再就職活動もせず昼まで寝ていたことに、かつてと同様自堕落感を覚える。「こんなんじゃ駄目だ」十九歳の時に書いていた日記を思い出しながら、私は復唱してみせた。そして少しためらわれたが、起き抜けの自慰に励んだのである。

今ではあの頃のような力強い朝立ちもなければ、妄想だけで烈しく欲情できる欲求不満もないというのに、私はそれをしなければならず、そうしてした後にやはり思った、(こんなんじゃ駄目だ)と。

しかし悲しいかな、精力の強さは罪の意識と比例している。十九歳の時のような獰猛(どうもう)なほどの悔恨はなく、大人の濁ったもの悲しさがあるだけである。もはや大して役にも立たないが、チンポコを切り落としたくはない。

汚れたティッシュをビニール袋に入れてゴミ箱に捨てると、昼食を取るために部屋を出て台所に行った。今風に言えばダイニングキッチンというところだが、昔ながらの食卓のある台所である。

母が食事の用意をしていた。私の顔を見ると、「今頃起きてきたんかい? いいご身分だねえ」と嫌味を言う。私は思わずほくそ笑む。いいぞ、日記と同じだ。

私はここで、まずいメシをもっとまずく食わねばならないことになっているが、出てきた食事をまずいとは思えなかった。歳をとって味覚が変わったのか、出された食事に文句を言わないという家庭円満の秘訣が染み付いてしまったせいか。おかわりしたい気持ちを抑え、早々に食事を終えた。