ギャッパーたちの群像

二足のわらじを履き、裏の顔を持ちながら暮らしている者がいる。

それを人に言えない者も多い。中には家族にすら。

もちろん、「わらじ」って何か知らないから人に言えないという意味ではない。

ギャップのある人生を送っているけれども、人の理解が得られないかもしれない、本来の生活に差し障りがあるかもしれないということで、裏の顔を秘密にして生活している者のことをここで「ギャッパー」と呼ぶこととする。

人には、もともと変身願望があると思われる。

だからこそ、怪獣と戦うために三分間だけ変身するヒーローも、バッタのような顔に変身するヒーローも、コウモリ型に変身するヒーローもいるし、最近では蜘蛛のように変身するヒーローもいる。ちょっと変身といえるかは疑問もあるが、新聞記者からスーツを脱いで眼鏡をとっただけで怪力で空も飛べるヒーローになったり、中学生くらいの少女たちがきれいで力強いヒーローに変身する、一時期流行ったデコレーション機能付写真自動撮影装置のような名前の漫画も人気がある。

このどれもが、変身すると、みんなすごい姿に変わる(蜘蛛男と新聞記者は変身といえるか疑問でもあるが)。

そのギャップが大きいほど、皆の驚きは大きく感動を呼ぶのである(しつこいが、新聞記者は変身してもそれほど驚きがあるとは思えないのだが、米国人は驚くらしい。むしろそれが驚きである)。

そういえば、虫だって、芋虫からさなぎになって蝶になったり、ヤゴからトンボになったり、変身するとだんだんとすごい姿になり、能力もアップする。

結局は、ヒーローもこのような虫と同じなのかもしれない。とはいっても、ヒーローに憧れる人々は虫に憧れてはいないし、虫になりたいとは思っていない。そもそもヒーローが虫と同じなんて思ってもいないし、そんなことを言ったら、ヒーローに憧れる人たちから大変なバッシングを受けるであろう。人は、虫ではなくヒーローが好きなのだから。

ともかくこれは、そんなヒーローのようなギャップを求めた人々の物語である。

なお、最近は、有名野球選手から、「二刀流」などという表現も広まっているが、これはここでいう「ギャッパー」とは違う。今はやりの「二刀流」をまねしただけじゃないか、などという心無い批判を受けないようにあえて説明する。

広辞苑によれば、二刀流は「二天一流」に同じ、とあり、つまりは、宮本武蔵の剣の使い方、大刀と小刀の両方を一度に使用する方法のことであり、ここから、ピッチャーとバッターという異なる能力を使いこなすということにつながったようである。これもすごいギャップではないか、ギャッパーとどこが違うのかと言われると、説明すると言ったもののどうも説明が難しい。

とにもかくにも、この物語の登場人物たちは二面性を持つものの、異なる生活や顔を一度に使用するわけではなく、それぞれの生活、顔をそれぞれの場面で使用している、ある意味、二つの人生を送るようなものであり、野球選手の二刀流とはやはり違うのである。だからギャッパーというしかないのである。

これは、そんなギャッパーたちの物語なのである。