11月22日(日)

マイナンバー

三分粥になったそうである。まだ点滴は取れていない。

本人は元気で、差し入れた本を読んでいた。

「明日から五分粥になる。全粥になったら退院やわ」と良子は言った。

今日、「マイナンバー」が届いた。

11月23日(月)

退院日決定

昼間、良子から会社にいる私の携帯に電話が入った。

「退院、26日」と言った。私は、良子の声に何となく元気のないのが気になった。

「分かった。7時前に行くから、詳しく聞くよ」そう私は言った。

7時前に病室を訪ねた。

「電話の声に元気がなかった。心配するやないか」
「病院で大きな声は出せないわよ」

それもそうだと私は思った。今日は五分粥で、明日からは全粥になる、と良子は言った。

11月25日(水)

再び暗転

昨日訪ねたとき、「良くなっているのが自分で分かる」と良子は言った。私も嬉しかった。

しかし前の退院のときとは違い、良子に快活さがなかった。思えば最初に救急病院へ行ってから三月近くになっていた。

全粥になっていた。腸を指で示して、グルグル鳴った、と言った。

先生に話したか、と私は訊ねた。良子は首を振り、看護師さんには話したと言った。「腸が活性化しているのだろう」と私は言った。26日の退院を、誰も、まったく疑っていなかった。

今日は6時46分新横浜発の“ひかり”で、あい子と共に大阪へ向かった。大阪で、グループ会社全体の株主総会があり、今日は、私もあい子も来られないことを良子はよく知っていた。“のぞみ”でなく“ひかり”なのは「大人の休日クラブ」割引が30%あるからである。30%というのは大きい。

9時30分に新大阪着、10時に本社に入った。11時に顧問会計事務所の先生が来社、税務申告関係のすべての書類に捺印した。グループは全部足しても小さいが、5社あり、そのうち4社まで私が代表取締役である。

ただ私に権限はなくダミー社長である。絶対的な執権者はオーナーである。私が実行できるのはこの人物が同意する場合のみで、彼女の意向に逆らっては何一つできない。

それがこの日88歳、傘寿を迎える長姉である。株主総会が11月25日に行われるのは、それが彼女の誕生日だからである。総会は2時開始で順番に確認、議事録等に捺印していく段取りである。

開始の直前にあい子の携帯に電話が入った。あい子の表情に緊張が走った。私はそれが病院からのものであると直感した。

「お母さんが吐いた。また腸閉塞が発生したらしい。イレウス管による治療は、お母さんがイヤと言っているらしい。手術するしかないが、そのことへの承認を求めて来ている。今夜直ちに行うらしい」

そして電話機を私に渡した。

「手術しなければどうなりますか」
「死にます」

私には承認以外の選択肢はなかった。イレウス管を良子が拒否し、手術もしなければ、良子は死ぬ。イレウス管挿入治療は、良子は私たちに弱音を一切吐かなかったけれど、余程苦しいものであったらしい。

辛かったんだなと私は初めて気付いた。本当の痛みは、本人にしか分からないのだ。

私は株主総会での自分の役目を手短に果たし、あい子と共に横浜へ帰った。帰りの新幹線車中でずっと考えた。何か、間違いがあったのではなかろうか?

当初の「横浜市救急医療センター」は致し方ないであろう。ここは応急処置の施設である。良子が腸の閉塞感を訴え、それが消えたのだから、この施設の役割は果たし次のO医院はどうであろうか? 触診しなかったのか。しなかったなら論外であるが、触診して、大腸がんの疑いを持てなかったのだろうか。

それは東邦大学付属病院も同じである。全体検査を良子がしなくて良いと言ったらしいが、それはそれとして、大腸がんの疑いは持たなかったのだろうか。

みなと赤十字病院については、たとえ“シルバーウィーク”を挟んでいたとはいえ、9月12日の最初の入院から11月2日の手術まで、50日を要している。これが普通なのだろうか。

途中で「がん研有明病院」でセカンド・オピニオンを受けた。「がん研」へ乗り換えた方が良かったのではないか。しかし「がん研」でも腸閉塞の発生可能性については話していた。がん研であったなら、腸閉塞が起きなかったと言えるだろうか。

病院に着いたのは20時少し前だった。手術は16時30分に始まったとナースステーションで聞いた。私たちが到着した時点で、既に3時間半を経過していた。結局21時40分に案内され、集中治療室(ICU)で横たわる良子を見た。良子は朦朧とした状態で、私たちを認識したのかどうか、分からなかった。

先生の説明では、腸の切断には至らず、腸が癒着(おなかの内壁と?)した部分を剥がした、ということだった。腹腔鏡下で行われたのであるが、これはこれで難しい、危険な手術だったのだろうと思う。

腸をプスッとやってしまえば、直ちに開腹手術に移らなければならない。その際に“ショック死”のようなことも起こりうると、インターネット情報にあったような気がする(結局は開腹したと、あとで聞いた)。私たちは長居しても本人を疲れさせるので、ほとんど顔を見ただけで、病院を辞去した。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。