達郎は、出入りの業者を装って、すたすたとフロアの中に入っていった。もし、誰かに何か言われたら、開き直って、店長に会いに来たと言えば良い、達郎はそう決心していた。しかし、達郎の存在を見て、周りの者は、誰一人として言葉をかけてくる者はいなかった。

どこの会社でもそうであるが、外部の人間の往来の多い所は、いちいち見知らぬ人を立ち止まらせたり、案内したりしないものである。

自分がその人を知らなくたって、他の誰かが知っており、どうせその人を訪ねてきたのだろうから、いちいち取り合うのも面倒だからだ。自分が、手間と暇をかけるだけ時間の損だから放っておけば良い、そんな風に考えるのが普通であった。

フロアを少し進むと、突き当たりに、店長と書かれたプレートが乗せられている席があった。そして、そこに一人の男が座っていた。見ると、頬が痩せこけている貧弱な男だった。顔もたいして二枚目ではなかった。おまけに背も低そうで、頭髪も薄かった。

一目見て、達郎は愕然とした。智子はあんな男に惚れていたのだろうか……あんな貧相な男に惚れていたなんて……達郎は、もっと二枚目を想像していた。二枚目であれば、自分に隠れてまで、逢引きを続けていた理由も少しばかりは理解してあげても良いと思っていたからだ。

だが、あんな男を、いったいどうして……あんな男のどこが良かったというのか、合点がいかなかった達郎は、すぐにその場を立ち去った。

それにしてもどうして、あんな男に惚れたのだろうか……がっかりだ。俺が探し続けていたのはあんな男だったのか……

ただ、それは見た目が悪いというだけで、それだけで男を判断するのは早いかもしれなかった。

何といっても、東証一部上場企業の一流百貨店の店長なのだ。もしかしたら、松越百貨店ではこの金沢店の店長を務めることが出世コースなのかもしれないではないか。見た目とは裏腹に、店長の井上シンノスケは、相当なやり手で、切れ者であるのかもしれない。

達郎は、裏通りに出た。そして、近くにある喫茶店に入って休むことにした。とりあえず全身に襲ってきた疲れを癒そうと思った。

コーヒーの味は苦かった。

最初は、井上シンノスケを見た時、その格好の悪さ、貧弱さを見て、落胆した。だが、時間が経つにつれて、だんだん胸が苦しくなってきた。

智子があの男に抱かれていたかと思うと、智子がからだを開いて、あのごぼうのようにとがった顔をした男が、その顔を智子の陰部に沈めていたかと想像すると、胸が締め付けられるような思いになった。

そして、その思いは、徐々に憎しみに変わってきた。

あの井上という野郎、やましいがために、智子の葬式にも来なかった。何という薄情なやつだ。智子も恨んでいるに違いない……。そう思うと、達郎は、井上の顔面に銃でも打ち込んでやりたかった。

こんなに悔しい思いをしたことが、今までの人生にあっただろうか、こどもの時から勉強もスポーツも万能で、おまけに絵や歌もうまかった。中学から私立校に入り、生徒会長もやった。大学も第一志望の有名校に現役で合格した。大学のクラブでは部長をやり、ゼミでは幹事長を務めた。

その時、一番の美人で、誰もが狙いをつけていた一年後輩の智子をものにした。就職も初めから志望していたメーカーで業界第一位の会社に入った。今までの人生を反芻してみても、自分を悩ますような大きな出来事は、何一つとしてなかった。

ちきしょう、やっぱり、文句の一つも言ってやりてえ……

それに他人の女房を寝取っていたのだから、亭主の俺は慰謝料だって請求できる。別に金なんか欲しくはないが、あの男に困窮と苦痛を与えるには、懐に打撃を与えるのも一つの方法だ。達郎は、色々と思案をめぐらせた。

その結果、やはり、井上に会って、面と向かって、その罪を糾弾するべきだという結論に達した。

ただ、それは井上のいる会社内ではやりにくい。多勢に無勢だ。井上が自分の形勢が不利と判断した場合、部下に助力を求め、達郎を、悪質なたかりやゆすりだと言って、排除させるかもしれない。

そう考えると、井上の家を訪ねるのが賢明だと思った。

達郎は、何かの執念に取りつかれていた。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『店長はどこだ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。