ウィーンマラソンにはそもそも2020年に出場する予定だった。ウィーンマラソンを皮切りに4月から5月にかけて、レースを走りながらヨーロッパを巡るつもりで、2020年の頭にエントリーをした。エントリー完了のメールが届いたときは、まさか世界がこんなにも変わっちゃうなんて夢にもおもってなかったから。

3月の中旬、ヨーロッパの各地で起こっている悲惨な状況のニュースが届く。そんな中でウィーンマラソンからひっそりとキャンセルのメールが届いて、2021年か2022年に振り替えができるとメールにあったから、2021年のレースに振り替えの手続きをした。そのときは、この状況がここから2年近くも続くと言われても信じられんかったんよ。

2020年を過ぎても状況はあんまり変わらなくて、日本では緊急事態宣言が発令されてない日の方が少なくなった。それと比べると欧米では2021年の春になるとレースも再開されていて、ヨーロッパなんか渡航制限すらなくなりつつあって、海外に住んでいる友だちのメッセージを目にするたびに、外に行けん自分がなんとも悔しい。政府がワクチンを打てば日常に戻れるってCM流してたから、ワクチンも打った。だけど、秋頃になってもどこにも行けんかった。

2021年の秋に、ウィーンマラソンは開催することになった。2021年の秋の欧米は、久しぶりのレースラッシュで沸いていたし、日本の連日のレースの中止ラッシュとは打って変わっての状況だ。

当時の日本は、出国はできるけれども帰国してから2週間、近隣ホテルで隔離生活のハードモードスタイル。一応六本木ヒルズOLとして正社員の肩書きを背負っていたわたしにとって、走りに飛ぶのは不可能だった。だって有給の日数が破壊的に足りないんよ。

※本記事は、刊行の書籍『滲んだ青』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。