我が家

むかし江間様という殿様が住んで居られた

江間殿小路

そこに私たちの生まれた家があった

ちゝ母が私たち子供のために

働きぬいた家があった

薄暗い商家の庭もない狭い家

その家の屋上に小さな物干し台があった

「物干し台」と言わずに

私たちは「涼み台」と呼んだ

そこで

幼なごころに海の遠鳴りを聴き

遠州の七不思議を聞かされた

死んだ母親が夜ごと来て

捨子を育てたといふ夜泣き石の話や

一夜のうちに砂山の位置が変わり

海鳴りの音を聴いて

「しけ」の来るのを知った漁夫の話や

そうした話を聞きながら

私の小さい心にわからぬながらも愛を感じ

自然の不思議に魅せられた家があった

夜空を仰いで

天上の神秘に恐れを抱いた

遠いむかしの私の家よ

朝晩神仏に灯明をあげる母の姿に

私は神を知り仏の世界を信じ

三度に一度母とともに灯明をあげる

喜びを知った家

どうぞ極楽に行けますように

地獄へ行かずにすみますようにと

そして又

夢うつつに父に抱かれて聞いた

狐の話の面白かったことよ

それはいつも決まって

大松の下に化けて出る狐の話につきながら

あきもせず語れよ語れよと父にせがみしは

幾つの年なるか

吾生まれて背丈も伸びぬ江間殿少路

ネルの着物の懐かしい少年の日よ

愉しみ多かりし家よ

その家もついに焼けしと

(六月十八日未明のこと)

あの涼み台に七輪を持ち出して、みんなでイナゴを焼いて食べたことがあり、その醤油の焦げるにおいが今でも匂ってくるようだと、忠司は語っている。

祖父母の写真
※本記事は、2021年12月刊行の書籍『木下恵介とその兄弟たち』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。