説家 Colette

コレット 1873.1.28 サン=ソヴール=アン=ピュイゼー─1954.8.3

 

パリ作家のアルベール・フラマンは「四人の王妃のため」と称する昼餐会を催しました。美術界のマリー、芸能界のヴァレンチーヌ・テシエ、モード界のココ・シャネル、文学界のコレットの4人です。シドニー=ガブリエル・コレットはブルゴーニュ地方に、戦いで片足をなくした陸軍大尉ジュール=ジョセフ・コレットの2男2女の末っ子として生まれました。

1900年から夫の名前ウィリーで『クロディーヌ』シリーズを出版しその名を広めますが、同性愛で浮気性の夫と離婚。その後ペンネームをコレットとします。1914年パリ・オペラ座から新作バレエを依頼され、音楽をモーリス・ラヴェルが担当します。台本を読んだラヴェルはこの作品をオペラにしたいと申し出て、オペラ『子供と魔法』が完成しました。

第一次世界大戦中はジャーナリストとしても活躍し、自宅を野戦病院として開放しました。第二次世界大戦では再婚した夫のグドケがゲシュタポに連行されたのを救うため、心ならずもヴィシー政権に加担します。1930年週刊グラフ雑誌「ヴュ」に「フランスで最も有名な3人の女性」として写真入りでマリーとアンナ・ド・ノアイユ伯爵夫人そしてコレットが紹介されます。

1948年にはノーベル文学賞の候補にもノミネートされますが、ボジョレー通り9番地の自宅で死去、歌手のサラ・ベルナールに続いて2人目の女性として国葬が催されました。

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※本記事は、2022年7月刊行の書籍『マリー・ローランサンとその仲間たち』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。