次の日、妻もパソコンが使えるのでインターネットで調べた抗がん剤についての資料をたくさん持ってきてくれた。今は抗がん剤の研究が進んで、副作用の少ない抗がん剤が開発されていることや、日本の医学界と製薬会社の癒着から、効きもしない抗がん剤をがん患者に飲ませているといったものまであり、より迷ってしまった。私が読み終わるのを見て、妻が言った。

「どうするの」

「今は副作用の少ない、よく効く抗がん剤もあるようだが、そうはいっても体のダメージはありそうだ。元気がなくなって、長生きしても嫌だからやめようと思う」

「飲まないと、再発や転移は起こりやすいんでしょ」

「ここにおもしろい薬が紹介されている。この薬を飲んだり、免疫細胞が増えるような生活をしていったりすれば、大丈夫じゃないかな」

 私は、体に優しいといわれている抗がん漢方薬を飲むことを決め、そのことを妻に言いながら自分の心も説得していた。

「あなたがそれでいいならいいわよ」

抗がん剤は飲まないことに決めた。明日医師に伝えよう。命に関わることを決めるのは本当に大変だ。

翌日医師が検査に来た時に、抗がん剤は飲まないことを伝えた。医師は、

「戸隠さんがそれで良ければいいですよ」 

と言い、退院についての話をした。退院は明後日の十月二十一日と決まった。手術の前日の九日に入院したので十三日間の入院生活である。約二週間であったが、こんなにも長く感じた二週間が今までにあったろうかと考えていた。とにかく食事は大変であった。なかなか食道を通ってくれない。

少し食べるのに慣れてきた時、噛んでついすぐに飲み込むと、それでは早すぎると胃が言っているのか、食道で詰まり、しばらく吐き気が続いてしまう。まさに試行錯誤の連続であった。見た目はそんなに変わらないが、体の中は胃という大切な臓器が三分の二もなくなっているのだから、この位苦しむのは当然なのかもしれない。

腕や足がなくなっていればもっと大変だろうと変なことを考えては自分を慰めていた二週間であった。医師は明日栄養士が退院後の食事の仕方について説明に来ることを告げて病室を出ていった。

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※本記事は、2022年6月刊行の書籍『がん宣告、そして伊豆へ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。