マッコウクジラの潜水時間は三十分から一時間くらいだ。哺乳類であるマッコウクジラがそんなに長く海中に潜っていられるのは、筋肉の中のミオグロビンという物質の中に酸素を蓄えられるからだ。もちろん、子供のマッコウクジラはオトナほど長く潜っていられない。ハナコはせいぜい三十分くらいだ。

ハナコ達が海に潜ってから二十分近くたっていた。だから実を言うとハナコは、「早く海面に上がって深呼吸したいな」と思っていたのだ。

マッコウクジラは水深千メートルを十分から十五分で往復する。潜水時の方が浮上時より速いが、平均速度は分速百三十メートルから二百メートルだ。あの巨体と海水の抵抗を考えれば驚異的なスピードだ。

マッコウクジラがこれほど高速で海中を上下できるには理由がある。

マッコウクジラは体長の約三割が頭という頭デッカチだが、この頭の中に脳油と呼ばれる油が詰まっている。脳油は部位によって多少違うが、摂氏約三十一度を境にして、固体になったり液体になったりする。

潜水する時、マッコウクジラは筋肉を縮めて鼻孔を広げ、冷たい海水を通して脳油を冷やし、比重の大きな固体にして頭から沈みやすくする。

浮上する時は、脳油の中の血管に温かい血液を通して脳油を溶かし、比重の小さな液体にして浮きやすくする。

こうして潜水時と浮上時に高速を出すことができるのだ。

人間はこの脳油を潤滑油として使ってきたため、脳油目当ての人間にマッコウクジラはずいぶん殺されてきた。今では脳油の代わりに石油製品が潤滑油として使われているし、商業捕鯨も禁止されたので、ハナコ達マッコウクジラにとっては、「やれやれ、ひと安心」といったところだろう。

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※本記事は、2021年12月刊行の書籍『クジラのハナコ 改訂版』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。