篠原も笑って、すっかり来る前の緊張が消えていた。水森部長が緑川をもっとも尊敬する新聞記者と言っていたのはどんなところなのか、まだわからなかったが、とても気楽で楽しい人柄であることはよくわかったのだった。

それから実際に、毎日の行政、警察など新聞にとって絶対必要な分野や、本紙に載るような話題性の高いものは、ほとんど篠原が一人で走り回って取材することになった。緑川は、槍ヶ岳や穂高など三千メートル級の山の取材と、あとは篠原の手の回らない小さな地味な取材ばかりを引き受けることになった。

緑川は、ようやく楽が出来るようになった、と篠原に言っていたが、しかしそれは、篠原に目立つ仕事を回してくれているのだ、とすぐに小池が教えてくれた。

「緑川さんは、若い記者さんにお手柄を立てさせたいのやさ。支局長さんもいろいろで、人によっては、自分が本紙に載る記事を書こうと思っていて、部下が同じ現場に来ると、おまえは帰れって言う人もござるそうや。わたしの親戚が地元の新聞社に勤めているから、そんな話はよく聞いてます。それなのに、緑川さんは、本当にいい人や」

と、緑川の人柄を褒めるのだった。しかしそんな緑川が、午後六時になると町はずれの『居酒屋ユキ』に必ず行ってしまうことについては、小池は批判的だった。

「緑川さんの居酒屋通いは、ほんとに、だしかん(ダメ)、だしかん。あの店の女は恐い人やでな。東京から突然やってきて、山しか見えん町外れに居酒屋を開いたんやさ。秘密があるんやろって、みんな言ってます」

ひそひそと篠原の耳元で言った。秘密? どんな秘密か。

「大金を盗んで、どこかに隠しとって、時効を待っとるんでないかと町の人はウワサしとります。それに、雪女みたいな凄い美人やで、この町の男の人たちが、何人も夢中になって。その人たちが、みんな次々亡くなられてな。今では、町の人はほとんど行きません。緑川さんだけやさあ、どもならん。緑川さんは、東京におられた時は、有名な記者さんやったと聞いとります。どえらい賞も取られたとか。それが飛騨支局に転勤して来られて、居酒屋の雪女に引っかかってまって。それからは、どんな栄転の話があってもこの支局から動かんと、十五年も通い詰めとるんやさ。いこいとる」

最後の、いこいとる、というのはつぶやくように小池は言ったのだが、それはたぶん、狂っているとか馬鹿だなあという意味の飛騨弁ではないかと、篠原は勝手に話の流れから推測した。

美人の居酒屋のママに入れ込んで飛騨支局に十五年間も居座っているとしたら、それは本当に「いこいとる」ことだと篠原は思ったが、それならば水森部長が「一番尊敬している新聞記者だ」と言っていたのはどういうことなのか、篠原は判断に苦しむのだった。そんな篠原に小池は、

「篠原さんは、行ったら、だしかん。死んでまうよ」

真顔で言うのだった。

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