選挙民はごうごうと非難したが結局当選してしまった。たしかに当時日本の国も貧しく、発展途上国で戦地から帰還した男性もまだ少なかったから、一理はあると思うのだが……。

大戦終了直後の日本は、七百六十一万人の復員軍人と百五十万人の外地からの引き揚げ者があり、人口が七千六百万人に膨れ上がっていたから、食べて生きていくのに青息吐息だった。

余談ではあるが、この岡田議員の長男は慈恵医大のインターン生で九段議員宿舎に住んでいた。金沢選挙区から選出された岡田議員と、同じ社会党で岡山選挙区が地盤の柳沢仲秋議員の長女と交際、婚約者でもあった。長女は女子美術大学生である。

柳沢議員の女性秘書の有馬恵子と雄太は昵懇の間柄で、多忙ななかにもデートに精出していた。どうして雄太のようなまだ嘴が黄色い輩が、成熟した一見、八千草薫に似て額も広く、魅惑的な女性に近づけたのか不思議だ。

ただ、議員会館では清水議員と柳沢議員の事務所が隣同士であった。雄太は共同炊事場で会館事務所へ訪問した来訪者からいただいた切り花が入った花瓶に水を入れに行った時に顔を合わせたり、売店で文房具類を買う時に偶然会って、有馬さんから「青山さん何買いにきたの」ときかれたりした。回覧板を回す時にも挨拶することもあった。ちょっとしたきっかけから言葉を親しく交わすようになった。このような関係から近づくことができたのだ。

※本記事は、2022年8月刊行の書籍『議員宿舎の青春』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。