蝉の寝言

三階の受付には誰もいない。奥に扉があり、声をかけると中年の女の職員がその扉から出て来て、突き当たりが教室ですと無愛想に言った。教室には生徒が十人ほどいた。思ったより少ない気がしたが、作品を提出しない生徒は休んだりするらしいから、こんなものなのかもしれない。

あらかじめ送られてきていた作品を批評していく。今時らしい才気を感じさせる作品もあるが、こういう作品が伸びるとは限らない。仲間にも才気のある奴はいた。しかし、器用な彼等は他にも目移りするのか、いつの間にか消え、残ったのはただ書き続けるしか能のなかった連中だけだ。才に溺れず努力する。総てとは言わないが、それも一つの真理ではあると思う。

障害のある弟との機微を描いた作品は揺れ動く気持ちが素直に出ていていいが、強さに欠けた。書いた娘にそれを言うと、

「その弱さはたぶん、私の罪悪感からだと思います」

と言った。

「罪悪感ですか、なるほど。私にもあります。それを作品の弱さにしないためには、とことん見つめるしかないでしょう。見つめて答えの出ない答えを探すことから始めてください」

答えになっていないと思いながら、そう言うと娘が強い目でうなずいた。その目がりょうの若い頃によく似ている。批評していく中に、一つ、箸にも棒にもかからないと思うものがあった。幾ら周りを美辞麗句で固めても、中身がないのは致命的だ。

「中身がないって、それはどういうことです」

と、前に座っていた赤っぽい派手な服装と厚化粧の女が睨みつけた。五十くらいだろうか。彼女の作品のようだ。

「そうですねえ。一言で言えば、自分を見つめていないということです」

「意味が分かりません。この作品のどこが悪いのか具体的に言って頂きたいわ」

「例えば、この女主人公は毎日乗馬をし、午後のお茶を飲む。そこで理想的な男と知り合う。三角関係もあるにはあるが、終始女主人公のいいようにストーリーが運ぶ。葛藤がない。それと馬ですが。馬が主人公の窮地を助けるんだが、そこまでする馬がいるものか。いるなら、それなりの納得する理由を書くべきだ」

「馬についてはよく分かってます。主人が馬主ですから」

「馬主なら分かるとは思えないが。それと忠実な女中。僕は人間は総て対等だと思っています。この書き方だと、女主人は女中を見下しているとしか感じられない。これは姿勢の問題です。生き方と言ってもいい」

「あら、それは先生のほうでしょ。人が書いた作品をそこまでけなす先生のほうこそ、ずっと問題ですよ」

「あなたはここに何しに来たんです。習いに来たんでしょう。私はお金を頂いている以上、作品には誠実に接していたいと思うので、誠実に自分の意見を言っただけです」