米国では「小さな政府」を求める価値観が強く浸透しています。18世紀、英国という「大きな政府」から独立し、何もないところから自分たちで国を作ってきた歴史の影響でしょう。

政府とは個人との契約で成り立つものである。国家を運営するのはあくまで市民である。問題が生じればまず市民自らが解決にあたるべきであり、むやみに政府(検察や警察)が口を出すべきではないという考えでしょう。国が訴訟を奨励するのは、このような「小さな政府」の考え方に後押しされながら、米国の社会を健全に保つ仕組みとして用いられています。

「悪質な行為」を罰する「懲罰的損害賠償」

「民活」の代表的な制度が「懲罰的損害賠償」(Punitive Damages)」です。通常、(補償的)損害賠償とは被告が原告に対し原告の損害を補償するものですが、「懲罰的損害賠償」とは、加害者の行為が悪質な場合、文字通り加害者を「罰する」ためにペナルティーを課し、戒めとする制度です。

加害者当人はもちろん、関係する業界、さらに社会全体で、同じような不法行為が繰り返されないよう予防の効果もねらっています。そのため、加害者に課される額は、補償としての賠償に上乗せされ、時には相当な額になります。

また、「罰する」という意味では罰金と同じですが、賠償金を受け取るのは政府ではなく、訴訟を提起した原告本人になります。加害者に対する懲罰ですから、加害者の懐具合により課される金額も上下します。

「懲罰的損害賠償」とは、制裁と抑止のための制度であるのと同時に、民事訴訟を起こすことで社会問題の是正に貢献した一般市民へのインセンティブ(報奨)でもあるわけです。「懲罰的損害賠償」は陪審制と深く結びついて運用されてきました。どの程度の懲罰が適当かは市民感情によるところが大きいからです。

【前回の記事を読む】迫る「司法の国際化」という黒船…日本が対抗するための手段とは

※本記事は、2022年10月刊行の書籍『司法の国際化と日本』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。