2章 責任構造物としての防災施設の使命

発展進化が阻まれている既存の防災構造物

流速や高低差のバランスが崩れれば、河川本来の機能は失われる

増幅する降雨量や自然環境に対応して総雨量の収容を拡大するために天井川にするのではなく、河川の高低差を見直し、河川底を掘り下げることが原理的解決方法である。

河川は、広域的に降雨を集める小川(静脈)と、集積した雨水を収容する本流(動脈)とからなるが、本流には流水高を調整する川幅と、流速を調整する勾配が必要である。長距離に及ぶ河川では集積した総雨量が積算されて増幅されていく。

集水の役割と、導水の役割に加えて、総量を下流に導く「導水専用流路」を設けないと逆流の恐れがあり、浸水の危険は払拭できない。

特に都市近郊河川は人間の手によって人工的に造られているが、その計画は全て行政が掌握し管理している。河川全体の雨水の収容容積・流速・流量・高低差、このバランスによる全体の構造物の強度が保たれていて河川は正常に稼働するのである。どこかでバランスを崩せば、河川本来の機能は失われる。

これらの防災構造物は時代と共に発展進化していくべきものでありながら、行政の前例主義の暴挙に阻まれて進化が止まっている。災害の前例を教訓として同じ過ちを犯さないことが人類の唯一の知恵と力であるのにかかわらず、毎年自然の力に打ち負かされて多くの犠牲者を出している。

業界では早くから解決方法を確立している。一日も早い国内全河川の抜本的な見直しが喫緊の課題である。

昔ながらの土堤にいくら金を掛けても、改造しても、根本的な構造原理が大昔にできた人力主体のものであり、非科学的であること極まりない。国民の安全と安心を守る防災構造物は、最新の科学でできた資材と最新技術による工法で構築された責任構造物でなくてはならない。

このように河川のメカニズムは科学に裏付けられた単純な機能で保たれているのである。この機能を高度に維持し守る技術は既に完成している。逃げることばかりに精力を使い、科学を無視して河川を恐れていては、いつまで経っても解決には至らない。

河川堤防の崩壊に対して国民はどう対処すべきか?

国民の血税を行政が濁流に捨てているようなもの

既に述べた通り、堤防崩壊のメカニズムはハッキリとしているが、そもそもの原因は、計画段階の調査不足やデータ不足、本質の読み違い、設計上の認識不足や前例主義の踏襲による機材や工法の古さ、役所主導による科学技術検証の無精査と施工上の完成度の低さにある。

土堤原則を踏襲してきた行政は、堤防が土饅頭でできていることに何の違和感も持たず、土堤を新しい建材を使って補強することすら拒み、「土堤に異物を入れるな」と、一喝してきた。堤体の構造や役割は科学で証明できる。

現在使っている堤防の補強材であるシートパイルや鋼管、コンクリート壁体は本来主構成構造体を成し、既存の土堤が異物であることが証明できる。責任構造物は、国民が血税を納めて安全を担保するために行政に任せたものである。

「今夜は大雨が降るから逃げてくれ」ではなく「今夜は大雨が降るからお家でゆっくりと休んでいてください」というのが本筋である。そのために堤防を造ったのである。逃げることが優先なら、最初から堤防は造らず、逃げる手段に金を掛けるべきではないか。

最初から逃げるという「抜け道」をつくるから、安全で安心して暮らせる世の中がいつまで経ってもでき上がらない。造っては壊れ、壊れては造りして、被災地では尊い人命を失い復興には莫大な金を掛けて、また同じことを繰り返している。

これではいつまで経っても、国土に良質な防災資産の蓄積はできない。国民はいくら働いても頑張ってもその代償を、行政が濁流に捨てているようなものだ。

国民運動を起こして、防災に対する抜本的な改革を検討するべき

国土防災の重大さや課題は、全て行政機関が掌握しているはずである。この行政が公共放送を使い、自治体を使って国民に逃げることを強制している。これは自分が企画し設計して造った堤防が信用できない、国民を守ることができないと言っているのと同じである。

国を代表する防災の専門家が会議を開いて逃げる基準を作成し、「逃げる順番をレベル1から5までとして定めた」という。言語道断であり、何とも腹立たしく情けない限りであり、無責任も甚だしい。

基準レベルをつくって国民に発表するなら、行政主導で造り上げた堤防の脆弱度をレベルで表現すべきではないか。自然災害から逃げることが前提であれば、未来永劫国民の生活の安全と安定は望めない。

逃げて解決することは何もない。政治でも経済でもスポーツでも企業経営でも、受け止めて、立ち向かって初めて解決の糸口は掴める。

現在、堤防崩壊を完全に防ぐ科学技術は既に確立している。行政の取り組みに抜本的な「思考の革命」と「改革」がなくてはこの悲しい事態はいつまでも繰り返される。

国民も、災害に対する真理や実態を知り、税金の使われ方やその役目の意味と意義をしっかりと理解し、国民運動を起こして、防災に対する抜本的な改革を検討するべき時期に来ている。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『国土崩壊 「土堤原則」の大罪』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。