【前回の記事を読む】沢山の「生きてたなあ、良かったなあ」の思い…公文書に残らない“庶民史の宝”

庶民目線で庶民史観というようなものを語ってみようじゃないか

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法律用語が心に届くことはない。もともと心に届かせようというような「目途」をもって表現されるものではなく、言葉の「用途」が異なる。雑に言えば「支配・統率のための用語」という言い方が一番正確であろう。

どこかで触れたが、大学の学部に「法文学部」というのがあった(ある)。正反対のものを学部で纏めるという不可思議なもので、あるいは、支配の側に立つ者は、法律を学ぶのは当然として、一方で文学を解する素養と余裕くらいは持てという「余裕綽綽(しゃくしゃく)」の学部だったのかもしれない。

ただ、「法律の網」は現実的で小さく、「文学の網」まして大きな「哲学の網」には敵わない。そんなことは、法学は一向に気にしていない。法律で現実を処理したら法の言葉は役目終了、それでいいのかもしれない。

地方公共団体もルールブックで動く時代である。将来都道府県・市町村の公務員たちを相手にするかもしれない。庶民の武器として、法律用語と条文の言い回しに慣れておいた方が、余裕を持った対応が可能で公務員に腹を立てずに済む。

ただ、人生を長くやってみて分かることだが、現実を処理するための法学だけではつまらないゾ。すべて分かった気持ちになるだけで、味がないのだから。