話は初対面の井戸とロバートに移る。ロバートにとっては、何故か英語を話さない井戸という私の友人がいるのか、クエスチョンマークが最初から表情に浮かんでいた。私は、二人の経歴や人柄を日本語と英語で交互に通訳して紹介していった。ここで井戸の仕事に話が及んだ時、私は英語で冗談を言ってロバートを和ませた。

「大志は、接骨院の先生(ボーンセッティング・スペシャリスト)で、(やぶ)医者(ボーン・セッター)じゃないよ!」

と私が言った時、ロバートはボーン・セッターの意味、本当に知っているのかと笑いながら私に問いかけてきた。こうしてロバートと井戸は打ち解けてきた。お互い身振り手振りでボディーランゲージをして、分からないところは私が通訳してあげた。

その後私たち三人は、ロバートの母校の大学教授の研究室に行き、教授の話を聞いていた。教授はインドの出身で、北アイルランド人の奥さんがいた。いろいろな話を聞いた後、ロバートの家のすぐ近所にある、国際NGOのマイケル・オコネル夫妻宅にお邪魔した。

オコネル夫妻は、ショーン・オハラから紹介されてロバートと知り合い仲良くなった。ロバートも、こんな近所にまた知り合いができて、家族のように接してくれるので、本当に喜んでいた。オコネル夫妻の家は、ロバートの住むアパートと、すぐ目と鼻の先だったようである。

マイケルは、中肉中背の温和そうで柔和な壮年だった。妻のトレーシーは小柄であったが、聡明な赤毛の持ち主で、瞳の大きなアイルランド人女性であった。夫妻もまた、北アイルランド紛争に翻弄(ほんろう)される人生を送ってきた人たちのようだった。

しかし今夫のマイケルは、紛争をカトリックの視点で何が起きていたのか、あるいはプロテスタントの視点で何が起きていたのか、両者の視点に立って、地域で語り部をしていた。相互理解を促進させるために、ボランティアをしていたのである。私はご主人に

「一番苦労した人が一番幸せになる権利があると思います!」

との率直な思いを伝えた。ご主人は微笑んだ。ロバートも(うなず)いていた。かつて紛争があった、この北アイルランドの人たちは、皆平和を深く希求している。だからこそマイケル・オコネルは、紛争の記憶を後世の人たちに伝え、平和を希求する心を風化させないために、国際NGOの一員として、語り部のボランティアをしていたのである。

【前回の記事を読む】紛争後の北アイルランドを生きた友人…10年ぶりの連絡の真意とは

※本記事は、2022年5月刊行の書籍『未来旅行記 この手紙を君へ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。