(9)昨日海(きのうかい)――知恵(ちえ)目覚(めざ)める海

しんと(しず)まり返った深い海の(そこ)を、いったいどのくらいの時間が(なが)れたのでしょうか。キュッ、キュッ、海藻(かいそう)のベルトが小さな音をたてました。

坊やは、ふと気がついて、あたりを見まわしました。うす暗い原っぱのような

ところにいたのでした。

背のひくい海草(かいそう)がいちめん、しずかにゆらいでいます。夜明(よあ)けの光でもなければ、夕暮(ゆうぐ)れの光でもなく、海草のほかにうごく(かげ)ひとつない原っぱの風景(ふうけい)の、どこか遠くで水のうごく音が聞こえてきます。

「ケン、やっと気がついたね」

後ろから、そっとやさしい声がしました。

「きみ、だれ? ここ、どこ? どうしてボクを知ってるの?」

「ぼくシン。きみはここでしばらく眠りつづけていたんだよ。いきなり声をかけ

て、おどろかしてしまって、ごめんね」

シンはケンのからだよりも小さく、背中が(まが)って弱々(よわよわ)しそうでした。でも、ものしずかで温かい、大人のような目をしています。それははじめて出あったとは思えないような、なつかしい目でした。おだやかに見開いた大きなその目に、かすかに水の影がうごいています。

※本記事は、2022年9月刊行の書籍『ざぶんざぶ~ん』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。