当てもなく彷徨う頼りないみゅうみたいだった。

洋服は半分ちぎれて捨てられた人形の様だった。

心はヤンキーだった。

タバコをふかせ右に左に身体をくねらすヤンキーだった。

以前の職場の長浜にも行ってみた。この時期、受付もおらず閑散としている。程なく階段から颯爽と降りて来た男性に声をかける。簡単に昔の経歴を話すと、男性が名刺を差し出してくれた。

父母やご先祖様が眠る由緒あるお寺は、両脇に仁王像がいる。頭を垂れてお寺に入る。美しく整った石道を通り、息を張り詰め本堂に入った。私は本堂の真ん中に座り、2時間手を合わせ続けた。これまでの不義理と守って頂いている感謝を、じっと手を合わせひたすら祈った。

落ち着いた私は、父母が眠る御霊前に来ましたよ、と呟き搭乗したチケットを置いた。以前父はこのお寺でお葬式をした。患者さんがたくさん来てくださったと母から聞いている。供物がなかったのが可哀想だった。

懐かしいホテルの1階は営業していなかったが、パンだけは売られていた。母はそのホテルのパンが好きだった。翌日はパンとジュースを持ち、また来るからね、と2人に挨拶をした。

本堂の静寂と線香の匂い。人は、故人を祈る事でどんなにか心が休まるか、父と母には何があっても、手を合わせなければならないと初めて感じた。

長浜が優しかった。横断歩道の通りゃんせの音楽。バスの音。ホテルの前の教会は一日に4回鐘が鳴る。私は鐘の音が好きだ。鐘の余韻まで聞くと心が落ち着いた。テレビも音楽もいらなかった。福岡で目にした物と会えた人達。本当にありがとう。

余計な事を考えなくていいふるさと、福岡。

※本記事は、2022年5月刊行の書籍『今だから楽に生きましょうよ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。