【前回の記事を読む】お受験に成功したのに?子どもの低学力を生じさせる「過ごし方」とは

第一条「知育にかたよらない」

遊びと学習は同じ道筋

なぜなら、この「遊び」によって形づくられる道筋は、「何かを学習して、自らの内に取り込む道筋」と本質的には同じだからである。

遊びでは、「やりたいことを思いつく」→「考える」→「行動する」という道筋であり、学習は、「決められた課題」を与えられることが、その初めにあるのが違うだけで、その後の道筋は同じなのである。「思考→行動による実現」という道筋を自由遊びによって、しっかりと鍛えて作っておくことが学習の前段階として第一に大切なのだ。

やがて、周囲の状況や自分の立場を理解できる年齢になって、与えられた課題を解いてゆこうという姿勢がつくられると、この道筋が役に立ってくるのである。

又、この逆も成り立つのだ。遊びによる「思考→行動」という道筋ができていない子は“勉強はやれない”のである。

さらに、何よりも重要で忘れてならない事は、遊び出す前に「~をやりたい」という衝動が内から起こっていることがなければならないということである。

「自分で思いつく」ことが初めに無い状態で、「課題を与えられて、その解決への道筋を教えられてそれを取得する」ということを幼児期から繰り返し刷り込まされると、「自分で考えない人間」になってしまうのである。

これは、ここで述べた美しい人形のような男の子に限らず、教育にお金をかけ続けている割には“親が思っているより伸びない子”に共通した事柄である。

ここに述べた例ほど極端でないにしても、ゆっくりと自分なりに“考える力“が育たなくなるためなのだ。

幼児期には、「勉強」を生活の中心に置くのではなく、「自由に遊ぶ」ことを中心に置いていかなければ、自分核(自分という中心=自我)の弱い人間に育ってしまう危険性が高い。だから、幼児に知育偏重の日々をすごさせてはならないのである。

心を育て、自我を育てる。この二点を中心に育ててこそ、その子は本来的自己に目覚め、自己を開発し、社会の中に地歩を占める人間になれるのである。