さあ大変。自分で認めたくなかったが、帰り道に迷ったわけだ。

躊躇している間もなく秋空は暮れてゆく。どれだけ走り続けても馴染んだ風景はなかった。辺りは暗くなる。とうとう走り疲れて、仕方なく交番を頼ることにした。

何度も交番前を行きつ戻りつ、なかの様子をうかがう。駐在さんが一人机に向かっている。怖かったけど、自転車を入り口に放り出して駐在所をのぞき込む。

「あのう、ちょっと道を間違えたんです。左に行こうと思ったけど……」

訳のわからぬ会話だったのだろう。このときは、父親に叱られるのを恐れるのではなく、父親の仕事に傷がつくことに怯えていた。いまもってそうとしか考えられない。

「僕、どうしたんだい?」

「どこの子かな? まあ、なかに入りな」

この後の駐在さんと小学2年生のやり取りは、あまりに滑稽すぎるのでここでは触れないが、さぞ駐在さんは困ったのだろう。この子は自分の父さんの名前も知らないと言い張るのだからお手上げだ。

しばらく会話は続くが、口を割ろうとしないこの子に手を焼いた駐在さんは、「ちょっと待っててな!」

と近所のパン屋に駆けて行き、メロンパンとクリームパンを買って来てくれた。和ませようとしてくれたんだ。心細く固まっている拓史にとって、さてどんな味だったのだろう。きっと喜んでむさぼり食べていただろう。以来、メロンパンは僕の好物になった。

この辺りは通勤客の行き交う雑踏で賑しく、自分の住む世界とまったく違う。暮れゆく空が僕の平常心を奪っていたけど、駐在さんはぽつりぽつりと話す小学生を相手に、怯えさせないよう慎重に聞き取っていく。

「この子は決して自分の名前を名乗らないんですよ。まして父親の名前は知らないの一点張り。自分を迷子だとも認めない」

連絡を受けて駆けつけた母は、ずっと駐在さんに頭の下げ通し。でも、嬉しかった。親がちっとも振り向いてくれないと拗ねる暇もなく、日々が冒険の連続だった。4人兄弟の三番目の僕だったけど。

「そうだったんですか。なるほど。公務員の父親に迷惑を掛けてはいけないと、8歳の男の子は考えたんでしょうね。こっちは参りましたよ。だから僕の家のお隣さんは何という名前かな? でようやく聞き出したんです。この子は堺さんのご主人の名前もちゃんと言えるんですからね。心配ない、しっかりしてますよ。自分の住所は覚えてなかったけれど」

駐在さんはタクシーを走らせて迎えに来た母にそう話したという。近所で自宅に電話を持っている家は当時珍しかった。大学教授で裕福な堺さんのおかげだよ。

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