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篠原がこの飛騨支局に転勤してきたのは、半年前の冬のさなかだった。

篠原は入社以来ずっと首都圏や県庁のある大きな支局と東京本社勤務だけの、いわばエリートだった。だから初めて飛騨支局に着いた時は、支局長の緑川が今まで自分の周りにいた新聞記者と全然違うタイプだったので驚いた。

まずは、服装が違った。緑川は首にタオルを巻き、泥だらけの山服を着て、もっと泥だらけの長靴を履いていた。身体は大きく、髪は天然パーマ、顔はヒゲもじゃで真っ黒に日焼けしていた。緑川が支局の机でパソコンの画面を見ていなければ、地元の熊撃ちのおじさんだと思っただろう。支局の入口で篠原が戸惑っていると、緑川はパソコンの画面から顔を上げて、入口まで出迎えた。

「篠原君かー。よく来たよく来た」

人懐こい笑顔で言って、篠原の手をぎゅっと掴み、握手をした。緑川の手は熊撃ちの猟師の手というより、熊そのもののように大きくて、篠原は手が潰されるかと思った。

「そこに座ってて。ちょっと待ってな」

また机に戻りパソコン画面に目を戻すと、熊のような両手なのにけっこう器用に休む間もなく動かして、チャカチャカ原稿を書き進めていった。もう頭の中に文章が出来上がっているのか、流れるように打っていた。事務の小池さんに、

「篠原君だよ。ようやく、来てもらえたんだ。一人、増やしてくれって、さんざん待ったから、何でも出来る精鋭を寄越してくれたんだよ」

パソコン越しに紹介した。そして書き終わるとすぐに机を離れて、篠原の座っている来客用のソファにやってきた。そこで最初に篠原に言ったのは、飛騨支局の受け持ちエリアの分担だった。それが政治経済社会など内容による分担ではなく、地域でもなく、なんと、

「受け持ちはさ、標高で分担しよう。オレは三千メートル以上を担当するから、篠原君は三千メートル未満の担当。どう?」

にこにこ笑いながら言うのだった。標高で分担するなんて篠原は考えたこともなかった。ずいぶん変わった人だと思った。

※本記事は、2022年10月刊行の書籍『白川郷』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。