当時、この議員宿舎には議員本人ばかりでなく、議員の子息、子女が多く住んでおり、また秘書の方も多く住居としていた。地元の選挙区から勝ち抜いて当選し、議員となった諸氏には国家から宿舎が与えられていた。

衆議院議員宿舎には、当時、九段議員宿舎、高輪議員宿舎、赤坂議員宿舎と三つの宿舎が存在したが、その後、青山にも議員宿舎が建設された。東京を地盤とする議員を除く地方からの議員は入居可能となっていた。

現在、九段議員宿舎は取り壊され、更地となっている。二○○七年三月に衆議院赤坂宿舎は建て替えられ、地上二十八階・地下二階建ての議員宿舎が完成した。

総戸数三百。間取りは三LDKで八十二平方メートルもあり、ロビーも広い。だが、家賃は十三万八○○○円と高い。しかし、周辺の立地状況を勘案すれば、極めて優遇されている。民間の家賃相場だとこの界隈は五十万~五十五万円もするという。

古くなった九段議員宿舎は戦後の地方からの議員のよりどころの宿舎としての役割を終えた。しかし、この宿舎を住居として日本国を背負って立った総理大臣や大臣、議員も数多く存在し、歴史の一ページを刻んだのも事実である。

九段議員宿舎は四棟から成り立っていて、一、二号棟内での出入りは自由である。一号棟と二号棟との共用部分には議員専用とは別に家族用の風呂場や食堂が設置されていた。家族用風呂は広く、十人程が同時に入浴できるようになっていた。また、食堂は三十人程が同時に食事できるようになっていて、予め予約注文しておけば、好みのメニューも可能で、精算は月末精算であった。

※本記事は、2022年8月刊行の書籍『議員宿舎の青春』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。