半年なら部屋を貸してくれるアパートを知っているからそこにしちゃいなさいよと、気がついたらそういう方向に話がまとまってしまった。大家との交渉から手続きまで、全部トモコさんがやってくれるという。予算内でなんとか収まりそうなのは、ありがたいことだった。

「半年しかいなくたって、少しくらい稼ぎがあったほうがいいでしょう。日本語勉強したいっていう人、そこそこ知ってるから、家庭教師、したらいいわよ。一回で百ペソくらいの稼ぎにはなるから。本物の日本語教師なんだし、言いようによってはもっと払ってもらえるかもしれない」

日本語教師をしていると、外国人の在留資格にも無頓着ではいられない。日本では観光ビザで入国した人に働く資格はない。百ペソの価値がどの程度かは知らないけれど、アルゼンチンでお金を稼いでいいものかどうかが私にはわからなかった。

観光ビザではアルゼンチンには最長三カ月しか滞在できない。フェリーで一時間の隣国ウルグアイに行って、半日観光して戻ってくれば、新たに三カ月のビザがもらえる。お金さえ続けば長期滞在が可能だというそんな情報は仕入れてあって、だから私は滞在期間をお金がなんとか続く半年としたのだった。

「個人で教えるんだから、誰にもわからないよ。そんなこと気にしてたら、息詰まっちゃうでしょ」

トモコさんはあっけらかんと言った。「そんなこと気にしてたら、息詰まっちゃうでしょ」という言い方がフリオに似ていると思った。

ブエノスアイレスに到着した。秋の初めの風が心地よい。トモコさんの赤いコートは空港の景色にしっくりとなじんだ。私はひとまず予約してあったホテルにチェックインし、ホテルで数日過ごしたあと、トモコさんが紹介してくれたアパートに移った。

家財道具が全てそろっている1DKのシャワー付の部屋は、こじんまりとしていた。トモコさんのうちは歩いていけるところにある。

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※本記事は、2021年7月刊行の書籍『ポジティボ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。