一方信長に足蹴にされた光秀。光秀もまた酒を好んだという資料は出てこないということです。

同じく『モナ・リザは高脂血症だった』には、光秀は極度の近視であったのではないかと書かれています。

大阪府岸和田市の臨済宗本徳寺に残されている明智光秀を描いた唯一の肖像画を見て(診て?)、光秀の近視を看破された篠田先生は名医中の名医。私も子どものころからの近眼で、朝目覚めてまずすることは、枕もとに置いた眼鏡を探すこと。それだけによくわかります。

「近視の者は一寸目を細め、あごをあげて相手を見る顔つきをしがちである。これは遠距離に焦点をあわせようとして、知らず知らず目を細めることからおこるくせなのだが、このくせは相手を小ばかにしたような感じがするし、当人の人相もわるくなり他人に不快感を与える」という篠田先生のご指摘は、説得力がありますね。

近眼の上にあまり酒が飲めなかった光秀は、酒宴の席でもきっと所在なげに物思いにふけっているように見えたのかもしれません。上座に座る信長の表情を読み取ろうとして目を細めた その仕草を見た信長は、

「小賢しい! 光秀!」

と、思わず声を荒げずにおられなかったのではないかと私は想像します。

もし光秀の近眼は生まれつきのもので仕方がなかったにしても、もう少し酒を飲めたなら、そして酔いにまかせて泣きごとのひとつも語れるようであったなら、信長の勘気を受けるということもなかったのではないか。

そうであれば、「本能寺」という寺の名も歴史書に残ることはなかったろうし、「山崎の合戦」も起こり得なかったということになりはしまいか。

光秀もまた下戸であったがゆえに損をしたと、言えそうです。

※本記事は、2022年8月刊行の書籍『酒とそばと』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。