ドーセットのプールの町にジムが予約してくれたホテルに到着した次の日の朝、時差のせいで時間の感覚が定まらないまま、まだ日が昇らない薄暗い時間に起き出してホテルの近くを散策した。

明け染めたばかりのプールの町は、まだ夜が息づいていた。コナン・ドイルの愛した妖精がどこにもかしこにも漂っているような可愛く、不思議な雰囲気のプールの町だ。朝の町角という町角にパンの匂いとダージリン紅茶の香りが充満していた。町の雰囲気とその香りはとてもマッチしている。取り留めのない日常の生活感がオブラートに包まれ、超自然的な雰囲気を醸し出している。

休日の土曜日だったにもかかわらずジムは朝の十時、約束の時間ぴったりにラフなジャージー姿で車でやって来た。

車のマスターボックスに俊夫を招き入れて、自分で運転しながらジムはいった。

「ミスター・アシハラ、君がおいでになると聞いて日本マリテックのホームページを見せてもらった。どうやら君の会社もマリンエレクトロニクスの総合デパートになりつつあるようだな。でも、欠けているものがある。どうしてレーダーは手がけないのかね」

業界の誰もが投げかけてくる質問だった。

「別に。まあ理由といえば私の古巣の大手の大和電気がレーダーを作っているので、それにちょっと気兼ねしているだけです」

誰から質問を受けても答えて来た、同じ当たり障りのない曖昧な答えを俊夫は投げ返す。それが答えになっていないことは彼にも分かっている。

「何といってもレーダーは依然として業界のシンボルのような商品だ。これを持たないことには一流メーカーとは誰も認めない」

「でも、プロッターが商品化されて以来、レーダーの存在価値はかなり小さくなってきています。我が社はだからプロッターのラインは豊富です。勿論、プロッターが普及した今もレーダーが業界のシンボルであることは認めますがね」

ジムの主張に俊夫はそう反論する。

十分ほど車を走らせ、小さな公園の前にジムは車を停めた。

「私の小さな工場がすぐそこにあるんだが、今日は休日で誰も社員は出て来ていない。お茶のサービスもままならないので、ここでお茶を飲んで行こう」

【前回の記事を読む】「多分世界一忠誠心に富んだ世にも稀な民族だよ、日本人は」

※本記事は、2022年5月刊行の書籍『パペットのように』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。