一九七〇年 夏~秋

4 マユミの嘘泣き

「もうええけん。はよ寝に行きない」

母が会話を遮(さえぎ)りました。その顔は青ざめてふるえていました。志乃さんの遺体は思いのほか早く返されました。佐々岡家の仏間に寝かされ、しめやかに通夜が営まれます。

葬儀の朝となり、通夜にも顔を出さなかった喪主が、やっと帰って来ました。ブレーキを軋(きし)ませて止まった黒塗りの外車から、憮然(ぶぜん)とした表情の高雄さんが、重たいドアを蹴り開けて下りてきます。革靴の泥汚れを気にしながら、家の中へ入って行きました。

「しょうもないことしくさって。人すけないでえか」

北枕で横たわる物言わぬ妻を、高雄さんは蹴り上げそうな勢いで罵(ののし)ります。

「まあまあ座りないや。ほら高はんが怒るんはわかるけんど、仏さんにゆうてもしゃあないでえか。もうこうなったら安生(あんじょう)送っちゃらんでよ」

見るに見かねた年番の川口さんが、憤懣(ふんまん)やる方(かた)ない高雄さんの肩に手をかけて言いました。志乃さんの葬儀が粛々(しゅくしゅく)と行われます。私はその一部始終を遠巻きに眺めていました。

万蔵寺のお坊さんが来て、長ったらしい経文(きょうもん)を読み上げた後、参集した親兄弟親戚縁者、大西郷御近所の衆たちが、焼香(しょうこう)を回しながら訥々(とつとつ)と般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱和しました。それが終わると彼らは精進(しょうじん)料理で門出(かどい)での膳(ぜん)を囲み、お見送りの一献(いっこん)を済ませて白木(しらき)の棺桶を運びだします。

周囲を取り巻く黒衣(こくい)の男女に混じって、マユミの顔が見えました。霊柩車(れいきゅうしゃ)の荷台に棺桶の縁が乗った途端、マユミは両手で顔を押さえて泣き崩れました。それを見た参列者たちが、親と死別した子を不憫に思って涙しています。

しかし、私はそれを嘘泣きだと見抜きました。アレルギー性鼻炎で止まらない鼻水は本物ですが、取って付けたような涙は偽物です。

遺影を胸に霊柩車の助手席に収まったマユミが、下を向いて吹き出すのを私は見ました。それを咎(とが)めるつもりなど毛頭ありません。まだ年端(としは)もいかぬ子供です。

突然の母親の死などというものに、実感がなくて当たり前でしょう。それが年数を経て、特に彼女の青春時代に影を落としたかどうかを、私は外野から慮(おもんばか)ることしかできませんでした。

やがて斎場(さいじょう)から戻った大人たちは、骨壺の入った白布(はくふ)の箱を、仏壇に恭(うやうや)しく安置します。またしても坊さんがやって来て、読経、焼香、般若心経唱和と続く六日(むゆか)の儀(ぎ)となりました。それが終わった所で、彼らは喪服のネクタイをやっと弛(ゆる)め、襖(ふすま)を外して並べた御膳の前へ腰を下ろします。

ぬる燗(かん)をした酒が回し注がれ、仕出し屋から取った会席(かいせき)料理を肴(さかな)に酒食の段となりました。酒が進むにつれて、場の雰囲気は弛緩(しかん)していきます。あまつさえ不謹慎な笑い声が飛び交いはじめました。

話の中心にいるのは高雄さんで、その隣には気が置けない朋輩(ほうばい)である、私の父が胡座をかいています。二人とも酔っているようで、口にするのも憚(はばか)られる下卑(げび)た話に興(きょう)じていました。さすがに鼻白んだと見える親戚衆は、四十九日までの段取りを話し合い、代わる代わる仏さんの鈴(りん)を鳴らして焼香してから、早々に暇乞(いとまご)いを申し出ました。

高雄さんと父は二人になってもまだ酒をやめようとはしません。何かに楯突(たてつ)くように飲み続けていました。

篠(しの)つく肌寒い雨が夏の終わりを告げています。黒雲(こくうん)の中で閃(ひらめ)く稲妻は、邪悪な何者かの冷笑に思えました。どこかから聞こえてくる遠雷が、愚かな人間たちの狂騒を嘲笑(ちょうしょう)しています。苦しみも悲しみも人間が自ら引き寄せたものだ、と私は気付きました。

それを諾々(だくだく)と受容するには、日々を下劣な馬鹿騒ぎに紛(まぎ)らわせるか、志乃さんのように自ら幕引きするしか道はないのでしょう。私はこのときはっきりと、子供の夏休みがいつまでもは続かないことを悟ったのです。

夜も更(ふ)けてから、酔いくろうて千鳥足(ちどりあし)の父が帰宅しました。私は目が冴えて、布団の中で悶々としていました。三和土(たたき)で靴を脱ぐ音がすると、隣で寝ていたはずの母は、寝間の四畳半を抜け出します。なみひととおりではない気配が伝わってきました。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『金の顔』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。