「財布がないねん、盗られたんやろか」

退院した当日、早速騒動が持ち上がった。帰宅したらすぐお金が欲しい、お金がないと寂しいわと言うので預かっていたお金を全て渡す。姑は若い時から八十前まで商売をしていたから、現金がないと寂しいらしい。

姑のクリーニングを取りに行って、帰って来て代金を請求すると、お金なんてあらへんでと言う。「行く前に渡したやないの」と言うと、そんなもん知らんと言うではないか。また例の癖でどこかに隠したのだろう。放っておくことにする。

しばらくして下の姑の部屋に行くと、畳に座り込んでタンスや押入れを引っかき回している。「そんな座り込んだら脚痛いでしょう。何しているの」と聞くと、「財布がないねん、盗られたんやろか」と言う。「鍵閉めて行ったのにそれはないわ。どこかにしまって忘れたんでしょう」と軽くあしらうが、本人は目の色変えて不自由な脚を引きずりながら捜している。手伝わないわけにはいかない。

布団の間、タンスの引き出しの下、服のポケットと、どこを探しても見つからない。「どうせ家の中、そのうち出てくるわ」と私は用事があるので切り上げるが、姑はなおも捜している。そのうち帰って来た夫や娘まで加わり大捜索となる。

夕飯もそっちのけだ。捜索は部屋を出て台所、トイレ、浴室、冷蔵庫、袋戸棚、食器棚、物入れと物が入りそうな所は徹底的に調べるがない。当夜は打ち切り、姑の記憶が戻るのを期待する。早々これかとうんざり。

財布をそのまま渡したことを後悔するが、あとのまつり。そういえば、入院早々隠した財布が十日ほどして部屋を替わった際、ややこしい所から出て来たと看護婦さんからお聞きした。

あった!と娘の大声。聞いてみれば…

翌日は姑を娘に頼み金属製のゴミ入れを探しに行く。昨日うっかり仏壇にマッチを置き忘れ、それを使ったらしく、ゴミ入れのビニールが溶け、底が焦げていたので放っておけなかったのだ。こうなると、やめていた煙草の復活も時間の問題だ。なにせ隣が煙草屋だから。

この日は近所の方が何人か来て、姑の話し相手をしてくださる。入院中といい退院後といい近所の方々の親切は身にしみてありがたい。付き合いが嫌いな姑も、この時ばかりは嬉しかったに違いない。

煙草を吸わなくなったせいか、いただいたお菓子などもぺロリと平らげる。以前にはなかったことだ。

夕飯の後また財布のことを思い出したのか、あちこち引っかき回している。昨日捜してなかったのに同じ所にあるわけないと思ったが。またまた昨晩同様隠せるはずのない所まで捜すがない。全く時間の浪費もいいところだ。もう付き合いかねると引き上げたら、あった!と娘の大声。

今まで何度となく捜した流しの下の収納棚の、たこ焼き器を包んであるビニールの袋の中から姑が探し出したのだ。これでは分からないはずだ。おそらく、姑ははっと思い出したのだろう。

それからもお金が欲しいと言うので小額ずつ渡しているが、相変わらず毎日のように捜し回っている。することないから暇潰しにさせとけと夫は言う。思わず笑ってしまった。