失業保険の申請など諸々の手続きを済ませた後、車で一時間半ほどの実家に帰ってきた。その際私が持っていたものといえば、サイフやスマホ、家や車の鍵類は別として、数着の下着と服、マスクひと箱、五冊の日記帳と筆記用具、モバイルパソコンくらいなもので、しばらく滞在するには少なすぎるほどだったが、たいがいのものは実家に揃っているし、衣服など足りなければ昔の自分のものをひっぱり出してくればいいから、荷物などいらないわけだった。もちろん宿泊費も食事代もタダである。

荷物の入ったスポーツバッグを床に投げ出すと、私はベッドに寝転がる。実家にしばらく世話になることは伝えてあったせいか、布団は干してあり日なたの匂いがした。あめ色になった目すかし天井が部屋の古さを物語っている。床は畳であり、その上に薄緑色の絨毯を敷いて少しばかり洋風を気取っているが、不調和である。

これから一カ月この部屋で暮らすと思えば相棒のようでもあり、「よろしくな」といったところだ。暑いのでエアコンを付けると、動いてくれたので助かった。二十年以上前のシロモノであるが、燃費は悪いものの衰え知らずに冷たい風をごうごうと吹き出してくれる。

十八年ほど前、大学を卒業し就職で実家を出ていくまで、私はこの八畳の和室で暮らし、このベッドで眠っていた。ベッドや机の位置は当時のまま、ただ使われていないから生活感がなく、古めかしくもこぎれいである。今でも家族で里帰りした時にはこの部屋を間借りしている。ベッドは四歳の息子と妻に占領され、私は床に布団を敷いて眠るのだ。

ベッドに横たわりながら、私はこれからのことを考えた。これから自分を待ち受けるものに、ワクワク感がないわけではない。ついにこの時が来たぞ、と。ずっと前からいつかしてみたいと温めていた計画なのだ。とはいえ、面白い計画でないことは分かっている。暗くてぶざまでみじめな青春の日々を追体験するというのだから。

やれるかな?という不安もある。もっとも誰かにお金をもらってやることではないから、嫌になったら途中で投げ出し帰ってしまってもいいわけだ。その気楽さが、むしろこのチャレンジをやりやすくさせている面もある。

実のところまだ両親には、どのくらい滞在するかは告げていない。失業したのでしばらく世話になることは伝えてある。とはいえ今夜の食事あたりで、もう少し詳しく説明しなければならないだろう。

そうすればとやかく言われるに決まっている。やれ次の仕事はどうするのか、家をほったらかして一カ月も里帰りしていいのか、などなど。いいのさ。これまでずっと真面目に働いてきたんだ。骨休めが必要な時なのだ。

妻にももちろんそのことは告げてある。失業の報告を行ったところさすがにがっかりしていたが、会社が危険な状況にあることは以前より伝えてあったから、ついに来たか、という様子であった。

今後の生活、マイホームのローン返済のことなど考えれば、本来ならすぐにでも再就職活動を開始しなければならないところだけれど、焦ったところでこのコロナ禍、まともな再就職先があるとも思えず、無理に就職したところでいい結果は生まないし、長年の労働と失業によるダメージを受けた心身を癒さないことには次のステージに進めない、ということで、一カ月ほど里帰りしたい旨を、ちょっと憔悴(しょうすい)した声で妻に伝えてみたのだった。

※本記事は、2022年8月刊行の書籍『ヒミツのレクイエム』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。