奥会津の人魚姫

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この日鍛冶内は、高校時代の親友であった千景の招きで、奥会津の長山町にある小さな旅館めぶき屋を訪れた。もともと1日2組しか客を取らない、郷土料理と藁葺き屋根の趣ある雰囲気を売りにしている宿ではあったが、ここひと月ほどは休業しているという話だった。

客として、めぶき屋としては高級なほうの「はなれ」に案内された鍛冶内は、そこで千景の結婚式以来約10年ぶりに旧友との再会を果たした。

「仕事が忙しいだろうに、済まんな」

「そろそろ休暇を取りたかったから、ちょうど良かったよ」

久しぶりに見た千景は、痩せて顔色も悪く、体のどこかに問題があるのは鍛冶内にも一目瞭然だった。だがそれには触れず、二人はお互いの近況報告をし合った。

千景は10年前に結婚した咲也子が、そのわずか1年後に他界したこと。それから娘二人を、めぶき屋を営みながら男手一つで育ててきたこと、娘の一人である乙音と最近結婚するに至ったことなどを話したが、咲也子の死を初めて知らされた鍛冶内はひどく驚いた。

休業中とはいえさすがは旅館だけあって、乙音の出してくれる夕御飯は、会津の郷土料理を含め10品以上のおかずが並ぶ、東京では珍しい食材のものばかりだった。

東京で会社勤めをしている鍛冶内の仕事上の愚痴、学生時代の昔話などがひとしきり終わった頃、食事の世話をしてくれていた乙音が挨拶をして立ち去ると、千景はこれまで見せていたのとは別の、苦悩に満ちた表情を顔に浮かべて、鍛冶内に先ほどとは違う調子で、話を始めた。

「実はお前を呼ぶかどうか、ここしばらく悩んでいたんだ」

喉の奥から絞り出すようにそう言うと、誰か聞いていないことを確認でもするかのように乙音が去っていった先を見やって、声のトーンを少し落としながら言葉を継いだ。

「実はお前に頼みたいことがあるんだ」

千景は鍛冶内の近くまで顔を寄せてきた。近くでよく見ると眼には力がなく、色濃く浮き出たくまが、鍛冶内の至近距離で小刻みに震えているようにも見えた。

「何かあると思ったよ。めったに連絡してこないお前が、なかば強引に泊まりに来いだなんて言うんだから。しかもこんな高級宿にタダでな」

冗談口調で言った鍛冶内だったが、千景はそれにはまったく乗ってこず、ぼそりと「俺はもう長くない」とつぶやいた。

「え?」

「すい臓ガンが2ヶ月前に見つかったんだ。しかもステージ4だそうだ。精密検査の結果を元に、医者からこと細かに説明を受けた」

淡々と話す千景の真剣な様子から、それが事実だということを鍛冶内は悟った。なんと返そうかと鍛冶内が迷っている間に、千景は自分の身の上に起こったことを、静かに話し始めた。