私が施設に入所して、もう何か月経ったのだろう。誰も面会に来ない。

同じように、家族が会いにこないのだろう。逃げ出そうと試みる、老人がいる。連れ戻されて、家族や施設の職員に怒鳴られているのを聞くと、私たちは施設にとってお客様ではないのだと、つくづく思い知る。

お風呂に入った帰りに、ほかの部屋からこんな会話が聞こえてきた。

「もう二度と関わりたくないんですよ。死んだら無縁仏として埋葬してくれませんか? これでお終いにしてほしいんです。死ぬまでにかかるお金は払いますから」

そう言ったのは入所者の息子だろうか。脇で聞いていたであろう、お父様かお母様は会話の内容がわかっていたのだろうか。きっと家の息子も、内心似たようなことを考えているのだろう。

このようなことになって、親を敬えなどと言うつもりはない。でも、自分たちさえよければいい、それも違うだろう。子どもたちは、親の気持ちに思いが至らないのだろうか。

夫が私に遺してくれた家も、若い頃毎日手入れした庭も、すべて潰されて売られてしまうのだろうか。家族とは、親子とは、なんだったのかしら。

私は子どもに、介護してほしいとは思わない。手厚く看取ってほしいとも、思わない。親に感謝しろなんて言わない。ただ私は自分にできる精一杯、子育てをして家事もしてきた。それに子どもが所帯を持って、一国一城の主になる際には、多少なりとも援助はした。

夫に早くに先立たれて、やっとやりたいことができると思った矢先、つけ入ってきたのが坂本だ。私にはどこを探しても、彼を恨む気持ちはなかった。恋というのじゃないけれど、ただの一回だけ幸せを噛みしめてみたかったのが、そんなに悪いことなのか。

私は毎日砂を噛む思いをして、生活をしている。いくら考えても、将来が見えない。このまま消えてしまいたいとさえ思う。それでも生きているのは、ここで死んだら息子たちの思う壺だからだ。

毎日の歩行訓練にも参加している。もう温泉にも海外旅行にも行けなくなってしまったけど、時折、夢に出てくる坂本の笑った顔、それを思い出せば、どんなにつらい生活でも耐えていける気がする。

二度と会うことも言葉を交わすこともないけど、たった一度の幸せな記憶を持って冥土に旅立てる私は、たしかに不幸せではなかったのだ。

今夜も優しい夢が見られますように。

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※本記事は、2022年9月刊行の書籍『泥の中で咲け[文庫改訂版]』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。