自由遊びが自我を形成する

幼児期に自由に遊ばせていないと、なぜ自分という中心が弱くなるかというと、行動するためには、「意志・意欲」が無ければならないからである。

自分という中心(一般には自我と呼びならされている)が在って、はじめて、人間は行動するのだが、その自分核(自我)は、生まれた時から「持っている」のではなく育ってゆく道筋の中で、つくられてゆくのだ。

幼児期に赤児を“愛すること”“愛を伝えること”で心のつながりを持つことができても、まだ、その子には自分核は形成されていない。時間をかけて……何年もかけて、「自分」と「他者」、「自分」と「外界」を認識するという、日々の行為の中で育まれてゆくのだ。

子供にとっての行為とは、行動とは、体験とは、「何か」と考えれば、それは「遊び」そのものなのである。幼児は、「遊び」によって、自我を創るのだ。

なぜ遊びが自我を創るのかというと、子供が自分の身の周りにあるもので遊び出す時、その子の中には、次のような思考と行動の流れが存在している。

①何をするか考える。

②何をするか選ぶ。

③決めたことを行動に移す。

④その結果を手に入れる。

例えば、ブロックや積み木、砂場などで、ある形(乗り物、建物、橋……など)をつくりたいと考えたとする。いろいろ試行錯誤の上で自分の思った通りのものができると、子供は満足する。その満足が自信となり、やがては創造する力になるのだ。立派な玩具でなくても、何でも、身近にあるもので子供は遊び出す。遊びを考え出す。これが大切なのである。

このような日々の積み重ねの中で、幼児の内に「自分核」が形づくられてゆくのである。

この、形成された「自分核」があってこそ、学習能力が開発されてゆくのだ。

※本記事は、2022年10月刊行の書籍『わが子を不登校・引きこもりにしないための十ヵ条』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。