【前回の記事を読む】がんになって思い出した「人間は何のために生きているのか?」の答え

手術・手術後

一 手術・入院

いつもは冴えない私であったが、この内容はすっと頭の中に入ってきた。周りは大した反応はしていなかった。私は高校生になり、一年間が短くなったと感じることが多くなった。

この説によれば、十六歳は一歳の時に感じた一年の長さの二百五十六分の一にしか感じないということだ。小さい時は一年という時間を意識することはないが、要するに年齢が高くなるにつれて一年は短く感じるということだ。年齢を重ねるとこの説はよく分かる。その通りだと思う。二十歳になった時にこの説を実感したことがあった。小学校の卒業式の日に誰かが、

「成人式の日、このメンバーでまた会おう」

と言った。十二歳の時の私は、八年後がもの凄く長い年月で、そんな遠い日の約束なんて覚えていないだろうとその時は思った。しかし、二十歳になってみるとその八年間は意外な程に短かった。

人は若い頃の記憶を大切にするが、時間についてもそうしがちなのではないか。だから一年は長いと思っていると意外と短く感じる。しかし、本当は今感じる一年が普通で実は六十年という時間は凄く短いんだと思うようになってきた。

歴史で考えてみると分かりやすい。徳川家康が死んで四百年近くが過ぎたので没後四百年を記念した行事を計画しているという報道を見た。四百年というとかなり長い時間に感じるが、家康が静岡で大御所として君臨していた時代の建物がいくつか残っている。

江戸時代最後の将軍だった徳川慶喜が住んだ家も静岡駅近くに残っている。慶喜様が写真を写しているところを見たと祖母が話してくれたと言っている人の放送を私は見た。歴史というとかなり昔のことと思いがちだが、ほんのちょっと前のことと思えるようになってきた。それとともに、一人の一生は短く儚いものだということも分かってきた。

そんなにも短くて儚い人生をどう生きたらいいのか。そもそも人は何のために生きているのだろうか。高校の時から何となく考えてきたことであった。その謎解きに、この入院中に挑戦してみようと思った。