中でも、私が一番気に入っている禅語は「大哉心乎」(大いなるかな心や)です。これは禅が日本に根付くのに大いに働かれた禅僧・栄西の言葉で『興禅護国論』の冒頭に書かれています。

意味は、肉体は限りのあるものだけれど、心は天空の極まりない高さも超えることが出来るし、測ることの出来ない大地の深ささえ超えることが出来る。太陽や月の光明の素晴らしい輝きを凌ぐのは、心の輝きである。宇宙は果てしないものだけれど、心は宇宙を超えて無限である、ということです。

この言葉に出逢った時“心の在り方”というのは何と不思議で素晴らしいものかを感じ、禅に対して更に興味を持ちました。禅語は心を動かし、生きる力をもたらします。気が遠くなる程の長い時間も、あっという間に過ぎる時間さえコントロール出来る「心」を一人ひとりが授かっていることに感動します。

そして禅の言葉は、その心に寄り添い、心豊かな人生を作ってくれるのです。

一つの面白い禅語を見つけたのでご紹介します。「暗証」という言葉です。私達は「暗証番号」という言葉をごく当たり前に使っていますが、禅の世界では“裏付けの無い悟り”を意味します。教典を学ばず、坐禅だけして“悟りを得た”と自称することのようです。

自分だけしか通用しない、他からは認められない悟りを云うこの言葉が、今は「自分を認識する番号」として使われていることを面白く思います。

又は常の「挨拶」も禅語です。「挨」は師匠が弟子に対して問題を出すということ、「拶」は、その出された問いに答えを出すということ、つまり、禅問答のことです。挨とは押すこと、拶は迫ること、という意味もあります。従って挨拶とは、お互いに研鑽して自分を磨くことなのです。

そしてあと一つ、「咄咄咄」という禅語です。

おや! あら! まあ! という感嘆を表し、とつとつとつと読みます。単調な日常生活の中で、人はいつの間にか、感動する心を失っているかのようです。心が虚ろだと、目の前の気づきや感謝することさえ忘れてしまいます。禅語には、そんな日常を変えてくれる素晴らしい力があります。

本書を是非心の友として、新しい自分の発見や明日への行動力に繋げていただければ幸いです。

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